米議会はこのほど予算をめぐる争いで再び結果を出せず、自国と世界の経済を脅かす「財政の崖」が日に日に近づいているのに、膨大な支出を要する「2013会計年度国防権限法」を可決した。法案は随所で他国の事にやたらと批判や指図をしている。このうち戦闘機F16-C/Dの台湾への売却を米大統領に求めたり、米日安保条約の釣魚島(日本名・尖閣諸島)への適用を主張する内容は、中国の内政と主権に対する重大な干渉である。(文:梅新育・商務部研究院研究員。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
これによって、この国の帝国的野心と限りある国力および政体のアキレス腱との間の深い矛盾と衝突が再びはっきりと示された。
米国の国力には限りがある。この点は天文学的数字の赤字と国債によってとっくに実証されている。だからこそ責任ある米国の政治家は早急に国債上限を引き上げて、「財政の崖」によって、得難く、かつ力強いとはとても言えない景気回復が絶たれないようにすると同時に、財政支出を合理的に定めるべきなのだ。
だが早くも1990年代にニュート・ギングリッチ氏が中心となった米連邦政府閉鎖騒動と昨年の国債上限をめぐる争いによって、世界の人々は米国の政客たちと政治体制がいかに無責任で、いかに信用に値しないかを思い知った。
米国では、自国の国益が国際社会の利益や国際的義務に優先し、党派間の闘争と政治的私利が国益に優先する。違うだろうか?債務上限の引き上げによって米国債の期限通りの償還を確保し、政府機関の資金ある「操業」を確保し、無数の将兵への十分な給与の期日通りの支払いを確保し、社会保障の給付を確保する--これらは国の安全保障、米ドルの地位、国債と金融市場への信頼、自国の無数の社会保障受給者の生計、景気回復の展望といった米国の核心的利益に関わってくる。だが「米国民」と「米国の利益」をしきりに口にするワシントンの政客たちは、党派間の政治闘争と私利のために、こうした核心的利益を手玉に取ることも辞さない。国全体を手玉に取って政治的私利を巻き上げる。しかもこうした芝居を繰り返し演じている。