記念館の最後の展示パネルには、こんな話が記してある。第2次大戦終結後、ある日本人が解体したレールや枕木を日本に持ち帰り、記念品として収蔵し、毎年記念行事まで開催し、これを「偉大な功績」と見なしている。1979年、日本人がこの鉄道の機関車を日本に輸送し、日本の工業化の歴史の成果を顕示する展示品として、現在もなお靖国神社の遊就館に展示している。
戦後、侵略戦争に対する日本人の認識に影響を与え続けている歴史観が2つある。1つは米国の2発の原爆による被害者意識、もう1つは「白人植民地を解放し」「大東亜共栄圏」を樹立という帝国の夢だ。前者の認識が日本軍の犯罪行為を覆い隠すための口実になったとすれば、後者の認識は軍国主義を招く土壌だ。「死の鉄道」を勝利の成果と見なすことは、当時日本を軍国主義の深淵へと引きずり込んだ思想的根源を暴露し、戦後一部の日本人が抱き続けている帝国の夢の衝動を浮き彫りにするものでもある。
フランスの歴史学者アネット・ヴィヴィオルカ氏は『娘と話すアウシュヴィッツってなに?』を執筆した理由について「第2次大戦時に起きたいくつかの事について、子どもたちは知っている。だが彼らは疑問も少なからず持っている。こうした疑問は私自身がずっと考えてきた問題と意外にも完全に一致する。たとえば、ナチスはなぜユダヤ人を地球上から完全に消そうとしたのか?虐殺者はまさか罪の意識を感じなかったのか?まさか悔い改める気持ちがみじんもなかったのか?」と述べた。
かつて侵略者が暴力をふるった戦場に「慰霊」碑を建立した日本人や、「ヘルファイアー・パス」博物館を訪れた日本人や、遊就館で「死の鉄道」の機関車を見た日本人も、胸に手を当てて自問するのだろうか?こうした問題をはっきりさせず、後の世代にはっきりと認識させなければ、「死の鉄道」を勝利の成果と見なし、人間性のかけらもない悪行を誇示する価値のある成果と見なす者は必ず出てくる。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年11月5日