従軍日記が暴き出す真相

従軍日記が暴き出す真相。

タグ: 従軍日記 真相

発信時間: 2014-01-29 08:48:55 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

私は日記に、次のような記述を見ました。

「1938年2月21日、今日は愉快な外出日だった。私と石川はまず『朝鮮』を征伐した。慶尚南道から来た富子で、私は贔屓にしており4回目だ。次に『中国』を初めて征伐した。最後に昔の恋人八重を思い出し、彼女と似た智恵子を竹7号室に訪ねたが、不愉快なことが起きて先に帰った」

「1938年3月13日、また愉快な外出だった。大田黒、石川と三人で慰安所へ行った。『日本』『中国』『朝鮮』を相次いで征伐した。その後関東煮店へ行き、うどんを食べて酒を少し飲み、いささか酔った」

父の日記には、中国人慰安婦が強制連行された記述もありました。例えば日本軍が人身売買業者を通じて女性を強奪、連行したなどです。

日記を読みながら、父の心境の変化に次第に気づきました。「9月2日、中国の便衣兵を捕えに行った……池田少尉が刀で突き刺し、わが隊の一人一人が一刺しずつした」。父にとって人を殺すのは初めてでした。その後1週間、父は気持ちが落ち着かず、食べ物が喉を通らず、日記もしばらく中断しました。その後、また中国便衣隊を捕えに行った後、普段通り日記を書いています。便衣隊が本当の意味での中国兵なのかどうかは、すでに考証できません。日本軍は中国人殺害を「完璧な皇軍兵」に成長するために必須の「度胸の訓練」と見なしていたのです。こうして私の父は次第に、人殺しに慣れた「皇軍兵」となっていったのです。

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