歴史は鏡だ。人々は過去の記憶の経験の中から衣冠を正し、興替を知ることができる。実は歴史にはさらに深いレベルの鏡の意義がある。すなわち、過去の史実に対する解釈を通じて、現代人の是非の考え方を観察し、現代の政治屋の歴史観からその政治実践活動を観察することだ。(文:高洪・中国社会科学院日本研究所研究員。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
周知のように安倍首相とその追随者は第2次大戦まで日本軍部ファシズム政権が力の限り鼓吹した「皇国史観」を信奉している。安倍氏本人について言えば、『大東亜戦争の総括』のでっち上げへの参画、首相に返り咲いた後の「731細菌部隊」と同じ番号の戦闘機に軍服姿で乗るパフォーマンス、戦前の政治スローガンである「天皇陛下万歳」の先頭を切っての使用、そしてA級戦犯を祀る靖国神社の公然たる参拝といった行為によって、領土争いで隣国と対立し、歴史問題で大逆行する頑なな立場がとっくに示されている。
なぜ安倍氏は国際社会と日本国内の反対を全く顧みず、A級戦犯を執拗に参拝する行為によって国際公理と人類の良識にほしいままに挑戦するのかと、人々は問わずにはいられない。筆者はその意図は主として政治右傾化推進の3方面にあると考える。