第2に、日本の核物質の安全と核不拡散リスクの問題が懸念される。1990年代以降、日本国内では核燃料処理施設の火災、大地震による放射性物質漏れなど原子力の安全上の事故が立て続けに起きた。2003年1月28日、日本政府は核物質再処理工場でなんと206キロものプルトニウムが「行方不明」になっていることをIAEAに認めた。これは核弾頭20発以上を製造するに十分な量だ。日本にプルトニウムの不法移転行為が存在するのかどうかについては諸説紛々だが、専門家はプルトニウムの推計量と実際の保有量との間にこれほど大きな「誤差」があるとは意外だとの認識で一致している。こうした状況の下で、どうやって日本の大型再処理施設の安全保障・監督に問題が生じないようにするのか?
第3に、日本国内には核保有の考えと主張が絶えずある。世界唯一の被爆国である日本の国民の大部分は核兵器に対して深く反感を抱いており、政府も1967年に、「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」という「非核三原則」を制定した。だが数十年来、上は首相、政党指導者、下は政府機関や地方の高官まで、「核保有論」を繰り返しまき散らし、「核保有は必ずしも違憲ではない」と主張し、核兵器開発を公然と主張する声すらある。日本は右傾化の雰囲気が濃厚になるに伴い、「非核三原則」で批判をかわす一方で、「原発、核燃料サイクル、核保有」という「核の三歩曲」を歌っている。核に関するこのような曖昧な立場は、日本をどこへ向かわせるのか?
第4に、日本がいつの日か核を保有する条件は全て揃っており、最後の一歩のみを欠いているといえる。日本は核兵器製造に必要なトップレベルの人材、先進技術、十分な原料、基本設備、および陸海空一体の核兵器運搬の整った潜在力を備えており、核兵器保有まであと一歩の距離にある。この点について国際社会に疑いの声はほとんどない。この「一歩」が政治決断だ。この一歩を踏み出すには3つの関門がある。国内の平和憲法などの制度および反核民意による制限、国際不拡散体制および地政学的状況による制約、そして孫悟空のように米国によって頭にはめられた服従の輪だ。この3つの関門は蠢動する日本の核の野心を最終的に阻止することができるのだろうか?
日本が「核保有論」をまき散らすなどの言動を重ねることで、国際社会は大きな疑問を抱いている。「この国はエネルギー不足のためにあらかじめ対策を講じているのか、それとも『核の敷居』をまたぐために伏線を張っているのか」と。日本は国際社会を納得させる説明を欠いており、なおさらに、自らが国際社会に抱かせた大きな疑問を実際の行動によって解消する必要がある。
核物質の安全と核不拡散は国際社会の共通利益だ。日本の核問題に対して国際社会はいかなる幸運を期待できず、ましてや「虎を飼って災いを残す」ようなことになってはならない。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年2月24日