潘事務総長に対する日本の疑義の挟み込みは道理を欠いたものであり、基本的な国際法の常識も欠いている。第2次大戦に関しては歴史的に結論が出ており、疑義を挟む余地は少しもない。あの戦争において枢軸国3カ国が結成したファシスト連盟が歴史の恥であることは、誰もが認めることである。歴史を記念する目的は、現在を大切にし、未来に向かうことにある。あの戦争において不名誉な役割を担った側では、ドイツとイタリアはすでに徹底的にこれを清算している。現実の生活においても法理と倫理を通じて過去とは決別を実現している。そのためこの欧州の2カ国は、歴史を率直に振り返ることができるだけでなく、国際社会の十分な尊重を勝ち取っているのである。
日本政府の歴史観は、天皇制の存在によって、曖昧で暗いものとなっている。安倍時代になると、侵略の定義はまだないという説さえ飛び出した。「安倍談話」は、過去のいくつかの談話の基本的な精神を間接的に認めてはいるが、歴史を直視する誠意を感じさせるものではなかった。広島と長崎の原爆に対しては日本が盛大な記念式典を行っていることを考えれば、日本政府は自らの歴史の加害者としての役割を被害者としての役割に変えようとしていると考えざるを得ない。
中国の9月3日の閲兵式は、一方においては、世界とアジアの各国に歴史を忘れてはならないと呼びかけ、もう一方においては、誰が本当の被害者であるかを強調するものである。さらに平和を実現するのがいかに難しかったかを人々に思い出させ、世界平和を守ることは世界の各国の責任であると訴えるものである。
潘基文氏は国連事務総長として、客観的で校正な立場を選択した。潘事務総長は正確な歴史観を堅持し、世界平和を現実の使命として引き受けている。潘事務総長が中国の大型閲兵式に参加することは間違いなく「なすべき仕事」である。世界の主要国の指導者が中国の閲兵式への参加を回避した状況において、潘事務総長の勇気と選択はより一層貴重なものと言える。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年9月3日