習近平国家主席の今回の訪米は効率的で格調高く、インパクトのある訪問だ。習主席はシアトルでインターネットやビジネス関連の活動に参加し、ワシントンでは公式訪問、首脳会談を行い、ニューヨークでは国連創設70周年記念行事に出席する。こうした大都市やトップレベルの活動以外に、中米関係についての習主席の別の考えを示す特別な日程もある。(文:ロバート・ローレンス・クーン。人民日報掲載)
アイオワ州の小さな町、マスカティンは習主席の滞在したことのある家屋を記念館とし、「中米親善の家」と名づけた。中米両国民のより親密な関係への切望を象徴するものだ。当時地方の要人だった習氏は1985年、代表団を率いてアイオワ州を訪問し、現地の進んだ農業技術を学び、この家に滞在した。訪問期間は短く、大分昔のことだが、習主席は米国民の手厚いもてなしに深い感銘を受け、今日もなお当時の経験を大変大切にしている。習主席は若い頃に一般の米国民の家に滞在したことのある、唯一の中国指導者だ。
私はここで中国の実業家とマスカティンの住民がいかにして当初の疑念や不理解を解消し、親密・友好、相互尊重、ウィンウィンの協力という協力関係を築いたかを目撃した。中国とマスカティンの交流は拡大し、豊かになり続け、単なる姉妹都市、文化交流、事業投資の一般的な意味を超えた。より重要なことに、この誠実な温かみは中米の国民間に広がった。
もし中米関係の「最も記念に値する」重大な出来事の記録をまとめ、前向き、効果的、建設的、啓示的な出来事を記すとしたら、2012年に国家副主席だった習氏がマスカティンを訪問した出来事は当然盛り込まれるだろう。
米国中西部の小さな農業の町への単なる訪問が、なぜそれほど重大な意義を持つのか?理由は2つある。まず、習主席のマスカティン訪問はその外交政策の革新的理念の1つであるパブリック・ディプロマシー、すなわち人々の間の交流と往来を自ら実践したからだ。中米関係について検討して世界で最も強い国との交流を図るのであれ、「1ベルト、1ロード」計画を提唱して途上国のインフラ整備推進に努力するのであれ、人々の間の交流は常に習主席の主要目標において中心的地位を占めている。次に、習主席による2012年のマスカティン訪問は一般の米国民との良好な交流を生んだ。これは大多数の米国人にとって、当時の習主席訪米の全行程において最も記憶に残る一幕だった。私は習主席がロサンゼルスで催したエンターテイメント界、ビジネス界、政界との昼食会に出席したが、私の脳裏を離れないのはやはりマスカティンでの習主席の日々だ。