「最後に弾切れになり、武器を持って直接戦った」。1922年生まれの陳忠民さんは16歳の時に抗日戦争に身を投じ、浙贛会戦、閩浙追撃戦など大小計80界以上の戦闘に参加し、最も苦しい時は自分の尿で命を繋いだ。陳忠民さんの左腿には当時日本軍と戦った時の傷が残っている。