楊学志さん(27)は深セン市で携帯電話を修理するビジネスを営んでいた。安定した穏やかな暮らしだった。楊さんは仕事の都合で昨年11月11日に香港を訪れた。暴徒が各地で道路を占拠し、交通網を麻痺させていた。楊さんは同日夜、深センに戻れなくなったため、香港で一晩過ごすしかなかった。彼の人生はこれによって変わった。新華社が伝えた。
ロイター通信は昨年11月11日夜に香港・旺角の街頭で撮影された、香港の条例改正に伴う動乱の写真を掲載した。写真の人物は顔が血だらけで、両目も血で開かないほどで、呆然とした表情だ。後ろにはマスクをかぶった黒服の暴徒がおり、ハンマーを握り丸腰の被害者に背後から襲いかかろうとしていた。ハンマーは血だらけだった。
楊さんがその写真の人物だ。
楊さんはその日、グレーのTシャツを着ていた。旺角を訪れた時、そこには数百人が集まっていた。服装が黒服の暴徒と異なったからか、あるいは微信で家族に無事を告げていたからか、楊さんは暴徒の注意を引いた。
ある黒服の女が携帯電話を手にしている彼を目にし、声をかけた。楊さんが共通語を話すのを聞くと、女はすぐに叫び声をあげた。集団が瞬時にして押し寄せ、有無を言わさず楊さんに殴る蹴るの暴力を振るった。さらにはハンマー、鉄棒、石などを持ち襲いかかってくる者もいた。
楊さんは「広場の人がみな私を攻撃したくてたまらなかったようだ」と述べた。
暴力を振るわれている時、楊さんはメディアに囲まれていることを知っていたが、構ってられなかった。ロイター通信のカメラマン、トーマス・ピット氏がシャッターを切った。この写真を含む一連の写真がその後、2020年ピューリッツァー賞を受賞した。
香港監警会は今年5月15日、特別報告書を発表した。報告書は次のように総括した。デモ活動は過去10カ月ですでに変質しており、当初の平和的なデモ行進及び市民の集会から過激な街頭の暴力デモに変化した。市民及び個人の財産が損なわれ、交通網が遮断され、政治的な意見の異なる人が深刻な傷害を受けた。最近押収されたライフル、拳銃、弾薬、爆薬製造材料は、香港社会がテロリズムの時代に引きずり込まれようとしていることを意味しているようだ。
楊さんは「暴力の相手を間違ったのではないか」と聞いた。
突如襲撃された楊さんはすぐに倒れ、驚き、恐れ、痛みを覚えた。縮こまり抵抗する能力を完全に失った彼は頭の中が真っ白になり、黒服の暴徒の暴行を受け続けた。暴徒がハンマーで頭を殴ろうとすると、楊さんは無意識のうちに手で頭をかばい、意識が徐々に朦朧とした。
楊さんのバッグ及び所持品が奪われ、1−2万元の損失が出た。暴徒はさらに無理やり楊さんの手にしっかり握られていた携帯電話を奪った。
病院の緊急治療で意識を取り戻した楊さんは、指が骨折していることに気づいた。「これほど大きな力を出し、これほど強く憎めるとは。明らかな殺意がある。私は命拾いした」
楊さんは頭に60−70針を縫う大怪我を負った。楊さんの後頭部は現在も傷跡だらけで、髪の毛がほとんど生えてこないほどだ。左手の人差し指が曲がらず、中指は伸ばせない。
手を上手に動かせなくなり、細やかな動きが必要とされる携帯電話の修理ができなくなり、別の仕事も見つかりにくい。楊さんによると、傷だらけの顔を見た人からはヤクザや非行青年と思われ、複雑な目つきで見られるという。
楊さんは半年以上も収入がなく、貯蓄もすでに使い果たしている。現在は仕方なく友人の厄介になっている。
「私を撮った写真が受賞したが、私は今も仕事がなく借金暮らしで貧窮している」新華社の独占インタビューを受けた楊さんは、万感胸に迫る思いだった。
楊さんはすでに政府障害認定を申請しており、将来的に適した職を手にすることに期待しているという。また香港警察が一日も早く事件を解決し、暴徒を法の縄にかけ、賠償させることを願っている。「しかし連中はマスクで顔を隠しており、事件の解決は難しいだろう」
この期間中、香港では少なくとも45件の「私刑」が起きている。うち1件では罪なき市民の羅長清さんが亡くなっている。香港の暴徒は政治的な意見が異なる人、もしくは単に気に入らない人を私刑にかけている。
楊さんは罪なき人の1人だ。ただし楊さんが襲撃された時の惨状が撮影され、記者が受賞するための根拠になり、かつテロリズムに対する告発にもなった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2020年5月26日