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昭化:三国時代の古城が復元
発信時間: 2007-11-20 | チャイナネット
  四川省広元市元○区昭化古城の住民は、目が覚めたら周りの全てが変わっていたかのように思うことだろう。

  町並みはもう以前のように古びて乱雑ではない。きれいな灰色の瓦の下には爽やかな青い石畳の道路ときれいな店構えの商店が並んでいる。古い街はもはや不完全ではなく、東西南北のいくつかの城門や城壁、牌坊(旧時、孝子や貞女などを顕彰して建てた鳥居状の門)、古井戸、書院、邸宅などが昔の姿を取り戻している。新しく開店した書画店や屋台、日用品店、茶館、レストランなどで住民たちが古くから伝わる様々な家業を熱心に行い、その表情には興奮と希望があふれている。住民たちは1880年もの間忘れられ打ち捨てられていた三国時代の古城がどのように再び歴史の舞台に蘇ったのかを、その目で見てきたのだ。

  ・巴蜀第一の県、蜀の第二の都

  昭化古城の傍の牛頭山に立つと、南西の成都から東北の西安へと金牛古道が町を貫いているのが見える。これが歴史的に「難于上青天(天に上るより険しく難しい)」と有名な蜀への道だ。昭化は天府の国といわれる四川省から秦嶺を越えて中国の中部地方にいたる要所で、歴代の攻防の地であり、三国時代の戦略的な要地でもあった。

  三国時代に蜀漢の劉備はこの要所に兵を置き、兵や軍馬を鍛え、養蚕を行い、兵糧を蓄えて軍備を拡充し、蜀漢の建国の基礎を固めた。221年に蜀漢の政権が確立された後、劉備は「葭萌」を「漢寿」と改称。これが「蜀漢興、昭化起(蜀漢が興り、昭化が生まれた)」の由来となった。

  「三国演義」で描かれている張飛と馬超との夜戦や老将黄忠、厳顔と曹操軍との戦い、姜維が牛頭山で戦ったのもみなこの地で起こった出来事だ。昭化では古い街道や関所、寺院、城壁、墳墓、石畳の道、店舗、民家といった文物や建築が保存され、特に多くの三国時代の遺跡があり、蜀漢の政治や軍事、経済、文化研究に重要な資料を提供している。

  また昭化は紀元前316年の東周から現在まで2300年以上の歴史の中で、春秋戦国時代から宋、元、明、清の有名な宿場にいたるまで、中国の地方政権の拠点となった歴史を持つ。このため全国歴史文化名城委員会の羅哲文・副主任は「巴蜀第一県、蜀国第二都(巴蜀第一の県、蜀の第二の都)」という名称を贈っている。

  写真:昭化の漢寿閣

  ※○の左側は「土」、右側は「貝」
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