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100年以上の歴史を持つ滇茶の交易市場――大理古城

 

格別な味わいのある護国路の「洋人街」

 歴史を遡れば、大理古城が建てられる前、この地は羊苴咩城であった。唐の大暦14年(779年)、南詔王・異牟尋が都の太和城をここに移し、城内に南詔王の宮殿と高官の住宅を建造した。後晋の天福2年(937年)、段思平が大理国を建てたときにも、そのまま羊苴咩城を都として、大理国の旗を揚げた。唐、宋代の500余年の発展を経て、大理古城は雲南の政治、経済、文化の中心として成長していった。

大理古城の道路わきの用水路

 明洪武15年(1382年)明軍が大理を攻め落としたのち、明代の規制に沿って大理城を修築した。文献の記載によると、当時、周囲の城壁の長さは計6000メートル、幅は12メートル、高さは6メートルほどであったという。東西南北にそれぞれ通海、蒼山、承恩、安遠の4つの城門があり、城門の上には櫓が築かれた。また城壁の四隅には、頴川(北東隅)、西平(南東隅)、孔明(南西隅)、長卿(北西隅)の4つの角楼があった。城外には堀がめぐらされ、城内は碁盤の目のように整備されていた。大理古城は廃興を繰り返し、多くの城跡はすでに崩れ落ちてしまったが、南と北の櫓及び一部の城壁が見事に保存されている。町には南から北へ、東から西へ5つの街道と8つの横町が走り、路面には細長い「引馬石」と「弾石」が敷かれている。南北を貫くメインストリートには、民家、商店、工房がずらりと並んでいる。なかには大理石、縛り染め製品、草編みの小物などを売る様々なみやげ物屋と特色あるペー族のレストランなどがある。道端の用水路には、透き通った蒼山の雪解け水がさらさらと流れている。どの家も草花を育て、街並みはさっぱりと清潔である。「家々に水が流れ、すべての家が花を育てている」と書き記した文人がいるが、それが古鎮のペー族家庭の生活というものである。

大理城内のペー族の民家

 大理はまた「鶴拓」とも呼ばれる。伝説によると、古代、蒼山とジ海の間はもともと広々とした海だった。観音菩薩が杖で下関あたりの天生橋の下の岩に穴をあけたところ、海の水が流れ出し、森林におおわれた大理盆地が現れた。しかし、当時は誰もそこを訪れる勇気はなく、2羽の鶴だけがしばしば西ジ河のほとりを行き来していたにすぎなかった。やがて、ある人が恐る恐る鶴の足跡をたどって、この平原にたどりついた。鶴に導かれ、開拓されるようになったため、この地を「鶴拓」と呼ぶようになったのである。

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