ホーム>>経済>>視点 |
痛みを伴う中国の企業改革 |
発信時間: 2008-04-16 | チャイナネット |
|
技術がモノを言う時代に
1950年生まれの許振超さんは、殷さんより十数歳年上だが、中学校卒の学歴で、1974年から青島港で埠頭の荷役労働者として、クレーンを操作して貨物の荷役をやってきた。しかし1990年代以後、彼も他の労働者とともにレイオフされ、再就職先がなかなか見つからなかった。だが彼は、がんばって青島港のガントリークレーン(門型起重機)の有名な専門家となった。
最初にガントリークレーンの労働者となったとき、許さんは技術の研究が好きで、クレーンを操作して多くの難しい荷役任務をこなすことができるようになった。その後、ガントリークレーンの補修に、会社が外国のエンジニアを招いて、たった12日間だけで、43000元を支払ったことを知った。そこで彼は余暇を利用して、ガントリークレーンの予備のモジュールを探してきて研究に没頭し、わずか4年でガントリークレーンの補修の専門家となった。
2003年、青島港は英国のP&Oグループとデンマークのマースク・グループ、中国遠洋公司と提携して合資会社をつくった。許さんはその会社の固定機械部の経理として招聘され、40数名のエンジニアを統括するようになり、月給は6000元を超えた。
「人民中国」より2008年4月16日 |
|