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感動! 彼が変わったことに
発信時間: 2009-10-20 | チャイナネット

 

あるボランティアの日記から

もうかなり時間がたったことですが、今になってようやく、私が彼を変えたのだ、ということに気がつきました。

ある金曜の夜です。私は高1のクラスを3つ受け持っていましたが、学校が自習時間として3時限目を増やしたことから、その夜は高3の授業と重なってしまい、2階の高3、そして4階の高1の教室とを行ったり来たりしなければなりませんでした。高1は復習なので、その内容を指示してから、校則を守るよう言い聞かせて高3の教室に行きました。高3の生徒とは時事ニュースの授業を毎回すると約束していたので、自習の指導に過ぎないとはいえ、欠かすわけにはいきません。

“最速”のスピードで授業を終えると慌しく、4階に駆け上がって行きました。いずれにしても高校1年生、彼らの自覚が気がかりでならなかったのです。ドアを押して入ると、大半の生徒は真剣に暗誦していました。でも、常雅文君という生徒が隣の席の同級生と騒いでいるのを見て、私は思わずかっとなってしまいました。私が農村で教育ボランティアを始めた時、そのクラスで最初に親しくなったのが彼だったのです。真面目に授業を受けているので、とくに目をかけていました。しかし次第に、真剣さが欠けていくのが分かりました。何度話しをしても結局、効果は薄く、がっかり。しかし、いつも機会を見つけてはじっくり話したいと思い、見放すことはしませんでした。そんな時、今日、こんな思いに遭うとは思いもしなかったので、ひどく腹が立ちましたが、それよりも大きかったが失望でした。

私は彼を教室の後ろのほうに呼び寄せて、気持ちを抑えながらこう言いました。「常君、先生は、君にひどく失望したよ、本当だ」。彼は頭を低く垂れていました。「今はもう、君にあのような道理を説こうとは思わない。もう子どもではないし、言うべきことは、とうに何度も言っている。今は、3つのことをよく考えてもらいたいだけだ。まず、勉強することが、君にとって一体どんな意味があるのか。次に、知り合ったばかりの時、私は君に対してどんなふうに接したか。第3は、先生は今、君にどんなふうに君に接しているか。ここでよく考えてから、答えてほしい」と言うと、彼はうなずきました。そして、私は教室を数回ぐるぐる回り、高3の教室に。

10分ぐらいしてから、彼のところに。彼は目を赤くしながら一言。「先生、ぼく、間違っていました」。考えればやはり、自分の態度をより明確に示すのに、これ以上の答えはなかっただろう。過去を思い、今を見つめる。人はどうしても平淡な日々に埋もれてしまいがちだ。私の言葉が、彼にこのことを意識させたかも知れないけれども、そこから、彼が気持ちを新たにして勉強してくれれば、それで十分だし、であればこれ以上、彼を困らせる理由はないのでは。私は彼の肩をたたき、席に戻るように言いました。

今日も彼らのクラスの授業。この時間帯の彼に、変化があるのにふと気づいたのです。授業を受ける姿勢は以前のように、静かで、そして真剣。思わず心動かされてしまいました。なぜなら、私が彼を変えたから。私の言葉が外的な原因として一体どれほど作用したかはともかく、彼を見放さなかったことはよかったと思っています。私に一つの道理を理解させ、生徒を見放すことはせず、しかも彼を心から大切にしさえすれば、驚きと喜びをもたらしてくれるのです。

農村への教育支援はこれからもずっと続いていきます。私は子どもたちにもたらした変化をじっくりと味わい、そして、その変化が与えてくれた感動をかみしめているところです。

「チャイナネット」 2009年11月

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