数十年一回の集中豪雨とはいえ、近代都市にとっては、こういう事態の発生はなるべく避けた方がよい。いいことが何度起きても国外ではニュースにならないが、こういうことが一回でも起きれば、これは国外では「近代化のひずみ」のあらわれとして報道されるに違いない。そういうことで、世界的近代都市へむかって前進することを明らかにすることもよいが、住みよい町づくりをしていく努力も怠ってはならない。
もちろん、外国でも、そして「先進国」でもこういうことは起こっているので、自然災害というものは予知不可能な場合も多くあるわけだ。お隣の日本でも原発の問題で三カ月以上モタモタしているが、一部中国人の間では、あれだけ科学の発達した日本で、どうしてこんなことになるのかと不思議に思っている人もいるが、これは予知不可能なことが往々にしてあるものだというしかない。もちろん、日本の国内事情については論評は控えるが、今回の北京市でのハプニングは原発のように怖いものではないが、やはりある意味では教訓となったのではないか。
水浸しになって復旧に励む北京市の関係者の涙ぐましい努力にご苦労さんと言いたい気持ちでいっぱいだが、干ばつの後の冠水害などが発生している中国の一部地域の状況を考え合わせて見ると、高度成長と着実、穏当な前進ということを考えてみる必要性を感じる昨今である。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年6月27日