トヨタは2010年に行った世界規模でのリコールや11年の東日本大震災の影響により、世界一の自動車メーカーの座を失っただけではない。競争相手がますます重視するようになった中国市場で、シェアを大幅に伸ばすことが叶わなくなっている。
数回にわたる挫折を経験して、トヨタは考え方を変えるようになった。中国市場をより重視するようになったことは変化の一つだ。豊田章男社長は今年3月、「最も重要なのは中国」とのかけ声の下、江蘇省常熟市で世界最大規模となる研究開発センターの建設をスタートした。
その後、トヨタは低価格戦略に基づいてハイブリッド車の「レクサスCT200h」と第3世代の「プリウス」を打ち出し、ハイブリッド車で未来の中国自動車市場を牽引したいとの考えを示した。これに先だって本部の機能を中国に移転し、行政の審査許可プロセスの簡素化をはかるとともに、中国本部の決定権を強化した。
だが中国市場は高度成長の時代に別れを告げ、緩やかな成長の時代に入った。市場ニーズの力を弱まったことは、すべての自動車メーカーにとって大きな試練となる。トヨタについていえば、市場の局面が相対的に固定した中で、囲みを突破することの難しさは数年前の比ではない。
このたびの中日間の外交危機を経てトヨタに残されるものは、変数に充ち満ちた未来になるとみられる。
「人民網日本語版」2012年10月9日