今回の旅行では、北京西駅から汽車に乗った。私が乗る列車は高速鉄道ではなく、各駅停車の鈍行ではあるものの、前回乗車した時とは大きな違いを感じた。車両の中の世界は、もはや1986年当時とは別世界で、鶏やヤギはどこにも居なかった。人で埋め尽くされているという状況は変わらないが、窓からよじ登る人の姿はない。車内には空調があり、窓は密閉されていた。今の「硬座」は当時のように硬くはなく、座席の上にはちゃんとクッションがあり、車内の空気も大分改善されていた。喫煙する人は皆、割と自主的に洗面所付近の喫煙エリアでタバコを吸っていた。
列車の中には、農民の姿も少なく、私の向かい側の2列に6名の乗客が座っていたが、うち5名はインターネットができる携帯を持っていた。ノートパソコンを持っていた人も居て、ハリウッドのアクション映画を見ているようで、音が大きかった。彼らは皆中年層で、北京で生活しているが、北京の戸籍を持っておらず、家族と一緒に生活することができない。彼らの職業はコック、靴の販売員、学生、びん製造工業の運転手などで、北京は家賃が高く、食料品価格も高いと愚痴をこぼしているものの、自分たちの生活は悪くなく、少なくとも故郷で暮らす人々よりはましであると話していた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年10月15日