1980年代、日本は世界2位の経済体であった。当時の東京にはキャッシュが集まり、資本輸出が加速し、外国の金融機関がこぞって東京に地区本部を設立した。しかし東京は最終的に、人々の期待に答えられなかった。東京は世界金融センターとなる機会を失したが、これは持続不可能な経済、政策、商業全体および政府の構造によるものだ。これらの要因は、東京が真の意味で世界的な地位を獲得することを妨げた。専門家は、上海は東京金融センターの浮き沈みを参考にできるとしている。国際金融報は、東京で20数年間生活・勤務している復旦大学アジア経済研究センターの袁堂軍主任、上海交通大学現代金融研究センター主任、上海国際金融研究センター理事の潘英麗理事に東京と金融センターに関するインタビューを行った。
■東京の「勢い」 円の国際化による後押し
袁主任:1996年から現在に至るまで、金融領域および東京金融センターの建設をめぐる取り組みが続けられており、国内のメカニズム、金融機能、都市環境が絶えず改善されている。国際金融センターである東京とニューヨーク・ロンドン市場の間、金融機関の本部・支部の間には、緊密なつながりが存在する。