1980年代末から90年代初めにかけて、高度成長を続ける日本経済は世界で一人勝ちの状況にあったと言える。日本は「世界の工場」となり、日本製の工業製品は世界各地で売れ、向かうところ敵なしだった。1985年、米日英独仏の「プラザ合意」によってドルが下落し始めた。円の上昇に伴い、日本の輸出は確かに深刻な影響を受けたが、日本人が空前の富を得る結果にもなった。彼らは手中の円で、もっと多くのドルを得られるようになった。不動産を含め、以前はとても手の届かなかった米国の物が、たやすく手に入るようになった。1989年6月、ソニーは米国文化の象徴の1つであるコロンビア映画を34億ドルで買収したことを発表した。ロックフェラー・センターも三菱が14億ドルで買収した。ロサンゼルスでは繁華街の不動産のほぼ半分を日本人が購入した。ハワイでは外国からの投資の96%が日本で、しかもホテルや高級住宅など不動産に集中していた。80年代末までに、日本人は米国の不動産の10%を購入した。
日本人による大量の資産購入は、米国社会に極めて大きな反響を呼んだ。米国メディアは、かつて真珠湾を奇襲した日本が、現在では経済で米国全土に侵入していると驚きの声を上げさえした。米国人は、このまま行けば、日本人に自由の女神を買い取られる日がくるとも予測した。当時の日本国内に目を向けると、メディアを含め、多くの日本人は自らの世界規模の購入に狂喜していた。だが、短い喜びの後で、悪夢が始まった。三菱はロックフェラー・センター購入後間もなく、経営不振で、巨額の赤字に耐えられなくなり、購入時の半額で再び米側に売却せざるを得なかった。