最初の量的緩和が成功した重要な原因は、日銀が財政規律を堅持したことにある。財政赤字の金融化を避けるため、日銀は「銀行券の原則」を明確に打ち出し、通貨発行額を日銀の国債購入額の上限までとした。だがこの原則は13年に黒田総裁が主導する超量的緩和政策の中で次第に埋没していき、これに取って代わったのは、天井知らずの国債購入によってマネタリーベースを大幅に増加させることだった。その結果、日銀のバランスシートは急速に「膨張」し、現在の対国内総生産(GDP)比率は欧米をはるかに超える。
バランスシート膨張の危機は、今や財政危機後の日本経済に脅威を与える時限爆弾となっている。現在、日銀が保有する国債資産の加重平均金利は0.317%で、短期金利がこの数字を超えると「逆ざや現象」が出現し、財務危機に陥る可能性がある。また日銀の自己資本率が低すぎることがあり、16年末はわずか7兆6千億円だったのに対し、超過準備の規模は320兆円に達し、財務リスクが増大している。現在、日銀保有の400兆円を超える国債の平均残存期間は7年を超え、こうした状況の中で日銀が量的緩和から撤退しようとするなら、周期が長く、コストが極めて高いだけでなく、難度も非常に高いといえる。