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japanese.china.org.cn |07. 07. 2020

アフターコロナの時代、国際大都市は何処へ向かう? 周牧之VS横山禎徳対談

タグ: 都市発展


 編集者ノート:新コロナウイルスパンデミックが、ニューヨーク、ロンドン、北京、東京など世界大都市を直撃した。国際都市の将来に関する議論が引き起こされている。今後の都市と自然との関係、都市文化の方向性などについて、周牧之東京経済大学教授と横山禎徳東京大学総長室アドバイザーがブレーンストームを行なった。


 1.グローバリゼーションと大都市化


 周牧之:都市は市場から始まり、交易と交流の繁栄で成長する。1950年、人口が1,000万人を超えるメガシティは東京大都市圏とニューヨークの二都市だけだった。20年後の1970年には、大阪を中心とした近畿圏の一都市のみが、メガシティの仲間入りができた。1980年になってもメガシティは僅か5都市に過ぎなかった。しかしその後、猛烈な勢いでメガシティが増えて、いまや33都市になった。これらのメガシティのほとんどは、国際交流の中心地で、世界の政治、経済を牽引する大都会である。メガシティの総人口は、5.7億人に達し、世界総人口の15.7%を占めるに至った。メガシティが爆発的に増えたことの背後にはメカニズムがある。


 横山禎徳:18世紀の江戸も大きかった。現代から見るとまだまだのレベルだが、当時の技術による上下水道のインフラが出来たおかげで100万都市人口を支えた。上水は関東平野に流れ込む川の上流から街中に引き込み、下水では生活用水と下肥とを分けて、下肥は千葉の農家に売るシステムが出来ていた。元々広大な湿地帯に作った都市である江戸では運河交通ができた。都市の発展にはインフラのキャパシティーが大切だ。


 周牧之:我が家の近くにある井の頭公園の泉は、江戸時代の上水“神田川”の源だ。当時、徳川家康は江戸建設のため、水源確保と上水路の敷設に相当力を入れた。


 横山禎徳:20世紀の初頭、環状線の山手線が業務を開始したことは画期的だった。既に存在した駅である品川、上野、新宿に加えて、池袋、新橋、渋谷、五反田などの駅が出来上がり、私鉄のコミューター・レイルはこれらの駅に結びつく事によって通勤客のモーダル・チェンジ・ポイントとして成長した。これによって丸の内のセントラル・ビジネス・ディストリクト(CBD)だけでなく、多くのミニCBDがこれらの駅の周りにできた。そして、新宿は副都心に拡大した。東京という都市のアクティビティのキャパシティが拡大したのである。


 アメリカの都市はボストンなどが典型的だが、CBDのワンセンターが基本で、そこに全てが集中する。大きくなれない。東京は都市計画がなく、単に多くの村の寄り集まり、と言われたが、村の集合体でよかった。東京の中に様々な村、すなわち、性格の違うコミュニティ数多く存在している。あるコミュニティは江戸時代からの歴史があるコミュニティであるし、あるコミュニティは戦後の新興コミュニティだ。それらが混然一体となって自律展開をし、都市の有機体的調整機能として働いている。


 周牧之:インフラのキャパシティーをアップすることが、大都市の重要な対策である。東京大都市圏の人口が1,000万人から3,000万人の間だった時期には、大都市病に最も苦しめられた。いま、人口が3800万人にも達したのに都市問題は随分緩和された。そこには、高品質のインフラ整備がかなり功を奏した。今回の新型コロナウイルスパンデミックは地球規模で、医療、上下水道、ゴミ処理などの都市公共衛生インフラにおける投資を後押しするだろう。


 当然、都市の物理的なキャパシティと並び、都市の仕事上のキャパシティも重要だ。いいかえれば、人口を吸引する都市の産業力だ。1980年代以降の大都市化を推し進めたエンジンは二つある。ひとつは製造業サプライチェーンのグローバル的な展開。もうひとつは、IT革命の爆発だ。


 33のメガシティの地域的な属性を分析すると、基本的に二種類に分けられる。ひとつは沿海都市、もう一つは首都をはじめとする中心都市である。東京は両方の側面がある。これは東京が伸び続ける理由の一つだ。


 グローバルサプライチェーンを前提に発展してきた製造業の産業集積は深水港のサポートが必要だ。雲河都市研究院が発表した“中国製造業輻射力2018”のトップ10は深圳、上海、東莞、蘇州、仏山、広州、寧波、天津、杭州、廈門であった。例外なくすべて大型コンテナ港に近い立地優位のある都市だった。このトップ10都市は中国貨物輸出の半分を稼いでいる。


 横山禎徳:日本の製造業の輸出もこれまで東京、大阪、名古屋の三大都市圏に集中する傾向があった。

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