兵馬俑考古発見の第一人者・趙康民氏が死去 世界が注目

兵馬俑考古発見の第一人者・趙康民氏が死去 世界が注目。

タグ:兵馬俑景勝地

発信時間:2018-06-04 15:47:34 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 


孫娘が嫁入りするときに書斎で文章を書く趙康民氏


    陝西省臨潼区の兵馬俑景勝地はいつも通り観光客で混雑し、訪れた誰もが目の前に広がる光景に心を打たれた。彼らは足を止めて見学し、驚きの声を上げる。彼らの多くが、この壮大な「地下軍団」を守った最初の人物がいなくなったことを知らないかもしれない。


    5月16日21時30分、82歳の趙康民氏が死去した。44年前、彼は最も早く兵馬俑を文物と認定し、修復に着手し、この偉大な人類の文明遺産を守った。


    1974年3月下旬、秦始皇帝陵の西1500メートルにある臨潼区西楊村で、村民の楊志発さん、楊文学さん、楊培彦さんらからなるチームは干ばつに備えて井戸を掘る作業を開始した。4~5メートル掘ったところで、8つの破損した陶製の像、れんがの地面、銅製の機械弓と弓矢を発見し、これらの変わった形をし名前もわからないものを目の前にし、処置に困った。その後、これらに「瓦盆爺」という名前をつけ、村民は「瓦盆爺」に線香を焚いて拝むようになった。中には、「干ばつ」の不吉な前兆と考え忌避する村民もいた。


    陶製の像の出土から28年が経っても、「国宝」と結びつける者はいなかった。4月25日、文物考古専門家の趙康民氏は電話でこの情報を聞き、「頭が本物の人より大きい」という事実を知り驚きと喜びを感じた。彼は自転車で西楊村に向かい、現場に陶製の像が散らかっているのを目にした。趙康民氏はこれらを観察し、副葬坑と判断し、周辺住民に「瓦盆爺ではなく、国宝である可能性がある」と話した。


翌日、趙康民氏はこれらの陶製の像を二輪車に積み、県の文化館に持ち帰って保管・修復した。3日後、身長178センチの戦闘服を着た2体の武士像が完成した。彼は当時、修復した陶製の像を差しながら新華社の記者に対し、「これは秦代の陶製の武士像。史書に記載はないが、現場で見たところ、秦始皇帝陵の武士像の副葬坑である」と話した。

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