6月、記者は「秦代の陶製の武士像」について記事を書き、中央の指導者が関心を示した。7月、袁仲一氏、趙康民氏らからなる秦俑考古チームが発掘現場を訪れ、1号坑の試掘を行い、2号坑と3号坑を立て続けに発見した。
趙康民氏は『考古生涯』に掲載した文章に、「秦始皇帝兵馬俑の発見・発掘は、この断裂した文明の欠如部分を補った。封建帝王の埋葬制度の研究、秦代の政治、経済、軍事、社会生活、彫刻芸術、青銅鋳造技術などの研究に極めて貴重」と記した。
趙康民氏が当時修復した陶製の像は現在、臨潼区博物館に展示されている。
趙康民氏は退職前、臨潼区博物館でほぼ生活し、家のことに興味を示さず、自分の考古の世界に浸り、家族は彼は表現が下手で、考古にしか興味がないと思っていた。妻は彼を応援し、家の全てのことをこなし、息子と孫の世話もしていた。 臨潼区博物館陳列部の責任者の梁方氏は、「彼の考古生涯は偉大な功績に満ち溢れている。秦俑の修復・鑑定は趙康民氏の功績の一部にすぎず、そのほかにも多くの遺跡を発見した」と話した。
趙康民氏の死去 多国のメディアが注目
趙康民氏の死去を、考古業界関係者は嘆き惜しんだ。彼らは趙康民氏を高く評価し、「考古界の東の覇者」や「陝西省は重要な考古学者を失った」という声も上がっている。