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思い出の百間中学校
発信時間: 2007-11-15 | チャイナネット

ずっと残っていた。私の胸の中にずっと残っていた百間中に対する懐かしい思いが。

5年前のことだった。私は日本語を勉強するために埼玉県宮代町の百間中学校に入学した。その時、日本語は五十音しかできなかったので、初めて学校に行った時、はたして友達ができるのかどうかとても心配であった。しかし、担任の加藤先生や編入されたクラスの三年四組のみんなから親切に声をかけられ、英語で話しかけてくれ、それまでの不安がすっかり吹き飛んでしまった。日本人に対する第一印象は「やさしい人たちだ」ということだった。

ずっと前のことではあるけど、百間中で過ごした日々はいまでもはっきりと覚えている。短かった半年間の学校生活は、驚きの連続だった。

朝、生徒たちがお互いに必ず「おはよう」と声をかけ合う。私はクラスメートのこの「おはよう」と言う声を聞くと、心が暖かくなって、一日中元気が出るのだった。これは中国と比べると大分違いがある。中国の中学生は朝学校に着いたとたん、本を出して読み始めるのだ。しかし、それも仕方がないかもしれない。中国の教育制度では、勉強する時間が多ければ多いほどいいと思われているからだ。

もう一つ気が付いたのは、教室の黒板の右下に、三つのゴミ箱が並んでいたことだった。「一つあるだけでよいのに、どうして三つあるの」とたずねたら、「環境保護のため、ゴミを分別するんだよ」とクラスメートの一人が教えてくれた。給食後、みんなが飲んだ牛乳のパックをぺしゃんこにして、回収する。そうだね、本当に環境を守りたいのなら、日頃からゴミの捨て方にも気をつけなければならないんだ。これも中国の学校ではあまり見かけないことだと思う。

半年間でいろんな授業に出ていろいろな学校の活動にも参加した。美術科のハンコ作り、陶器作り、社会科のおもちゃ作り、キクの栽培、理科の洗剤作りなど。材料はすべて学校が提供してくれ、あとは自分で作るだけである。自分の「作品」を見て、一番強く感じたのは「私は生きているのだ!自分でいろんなものを作ることができる!」と言う存在感だった。学生合唱コンクールで、ピアノが上手な生徒が伴奏し、そのほかの人たちが歌うことになった。美しいメロディと歌声が相まって、どれもプロの歌手のようにすばらしかった。体育祭の開幕式で、学校の女子生徒全員が浴衣を着てグラウンドで踊った。男子生徒も女子に負けずに、ピラミット形に積み重なる演技をして、大変すばらしいと感動した。学校の生活はとても豊かで、私は毎日充実した生活を送ることができた。

ここまで書くと、中国の教育制度がもう一度思い出された。小学校から週末になってもいろんな塾に通わなければならない子供が多い。多くの生徒は勉強のために生きているようなものだと感じている。もちろん、時間を勉強に使うのはよいことではあるが、生徒たち自分自身の心の持ち方が一番大切ではないだろうか。

そうだ、もっとも驚いたのは、お正月のことだった。お世話になっていた先生たちやクラスメートに年賀状を送った。意外なことに、クラスメートだけでなく、先生たちさえもが私に年賀状を送ってくださったのだ。友達に聞くと、日本の先生は生徒にも年賀状を送ることとが分かった。これまで一度も先生から年賀状をいただいたこともなかったので、涙がこぼれるほど嬉しかった。

百間中でいろいろと習い、短かい期間だったけれど、一生忘れがたい経験となったのだ。先生たちやクラスメートのみんなあっての私は、一生懸命日本語を勉強して、日本に行くチャンスをもう一度つかんで、絶対にみんなにもう一度会えることを願っている。

(筆者は天津商業大学日本語科の陳彦新さん)

「チャイナネット」2007年11月15日

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