華山の入口は「千尺幢」または「天井」とよばれ、人ひとりがやっと通れるようなせまい道で、ここから空を見上げると、まるで井戸の底にいるようであり、たとえ鉄索につかまっていたとしても、見震いするような物凄さである。ここをすぎると「群仙観」で、山の地形を利用して建てられた雄大な建物が見えてくる。寺の北側は千尋の谷、東南はきり立った鋭い岩壁で、その間にせまい切り通しがつくられ、観光客は鉄索につかまりながら570段の石段を登っていく。道教の教祖・老子が華山で修業しているとき、人びとが切り通しを開くのに苦心惨憺しているのをみて、鉄牛で一夜のうちに切り開いてしまったと伝えられている。だから、この切り通しは「老君犁溝」とも呼ばれる。ここから北峰に行くのであるが、そのためには「擦耳崖」を通らねばならない。巨石が道をすっかりふさいでしまっているので、千尋の絶壁を下にみながら、上から吊るされている鉄の鎖をしっかりとつかみ、壁の上のくぼみに足をひっかけ、壁に顔をつけるようにして登っていかねばならない。これが「天梯に登る」ことである。その前の「蒼竜嶺」は、道の幅わずか80センチしかなく、しかも両側は千仭の谷底で、人がここを通るときは、まるで平均台のうえを歩いているようである。唐の詩人・韓愈はこの道で、恐ろしさのあまり動けなくなってしまい、遺書を書いて後事を託したが、幸いに現地の役人に助けられ、事なきを得たと伝えられている。華山の四大峰といわれる東峰、南峰、西峰、中峰にはこの道を通って行かねばならない。