ジャスミンの花開く(茉莉花開)

人民中国  |  2008-03-07

ジャスミンの花開く(茉莉花開)。

タグ:ジャスミンの花開く(茉莉花開) レビュー  中国映画,チャン・ツィイー

発信時間:2008-03-07 17:51:49 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

監督 侯咏(ホウ・ヨン)

2004年 中国 129分  2006年6月中旬日本公開

◆あらすじ

1930年代の上海。写真館の一人娘茉は映画スターを夢見る19歳。写真館にやってきた映画会社社長の孟に

見初められ、映画デヴューを果たすが、女優としてこれからという時に孟の子を妊娠、堕胎の恐怖から孟と会うのを拒んでいるうちに日本軍が上海に侵攻、孟は香港に逃げ、やむなく写真館の母の元に戻る。だが、愛人の理髪師に棄てられた母は黄浦江に投身自殺し、茉は一人で生まれた娘の莉を育てていくしかなくなる。

時は流れ、1950年代の社会主義中国の建設に情熱を燃やす青年傑と恋仲になった女学生の莉は交際に反対する茉への反発から、労働者家庭出身の傑との結婚生活に飛び込み、生活環境の違いに戸惑う。やがて自分が妊娠できないことを知ると夫への猜疑心から精神を病んでいき、養女への夫の感情をも疑い、夫を自殺にまで追い込み、自分もまた行方知れずとなってしまう。

義理の祖母茉に育てられて成長した1980年代の花は下放先の農村で知り合った上海の出身でない青年杜との結婚を祖母に言い出せないまま、遠い蘭州の大学へと杜を送り出す。大学を出た杜はさらに日本への留学を決意、夫の学業を編み物の内職をして支える花だったが、日本で日本人女性と恋仲になった夫は上海に戻って来ると花に離婚を迫る。老いた祖母も亡くなり、夜中に産気づいた花は病院へと向かう大雨の中で一人で出産する。

◆見どころ

張芸謀の『紅夢』、李少紅の『紅粉』の原作者でもある蘇童の小説『婦女生活』を『初恋のきた道』のカメラマン侯咏が映画化した作品。『初恋のきた道』の映像美には定評があるが、さすがはその当人が監督しただけに今作品も透明感のある画質に舌を巻いた。その秘密はスーパー35mmフィルムで撮影し、なおかつ現像の際は『グリーン・デスティニー』や『HERO』のようにシネスコサイズに拡大するのではなくヴィスタサイズに縮小することで、より鮮度の高い粒子の細かい画面に拘ったのだとか。

チャン・ツィイーとジョアン・チェンという新旧二大女優の火花散る競演も見応えがある。3世代にまた

がるヒロインを演じ分けたチャン・ツィイーも『2046』に次ぐ好演だが、何と言っても茉の母と茉の中年期と晩年期を演じたジョアン・チェンが濃厚な上海女性の味を出して、この映画を根底から支えている。北方の監督には上海は描けないという定説を覆した感があるのは彼女を初めとした上海出身の俳優陣と美術スタッフの力に負うところが多いはず。

三人の男優の中では、やはり上海出身の陸毅が抜群によく、完全にアイドルスターを脱皮した演技力を見せて、好青年だが気の弱い傑を自分のものにしていた。傑の母を演じた上海を代表するベテラン女優の奚美娟も、たとえ労働者階級の母であっても上海女性はねちっこいという感じが実に良く出ていて笑えたし、愛人の理髪師の上海訛りの普通話も効いていた。それに比べると北京人の姜文や東北人の劉燁少々分が悪いのは仕方がない。

実は脚本段階では三つのエピソードで物語を語るのは危険だという『HERO』の轍を踏まえた張芸謀の警告や、それぞれの時代で一本の映画にして3部作にしたらという田壮壮のアドバイスもあったそうなのだが、3人の女性を描きつつ、総体として一人の女性像を描きたいという意図が侯咏にはあり、それが「茉」と「莉」と「花」が「茉莉花」となって「開く(咲く)」という原題の『茉莉花開』に、よく現れていると思う。

◆解説

テーマ曲と劇中歌に名曲『茉莉花』が使われている。『茉莉花』は戦前に中国で大流行した江南地方の民謡で、イギリス人によってヨーロッパにも紹介され、プッチーニが歌劇『トゥーランドット』にそのメロディーの一部を使ったため、欧米人にも馴染み深い曲となった。中国の前国家主席江沢民は江蘇省出身なので、香港復帰やクリントン訪中、APECの上海会議の式典にも使われ、中国でよく知られるメロディーとなった。実は中国全土に広まるうちにメロディーは少しずつ変調し、第1章第2章でチャン・ツィイー自身が歌うのは南方のもともとの小唄風の(小調と言う)、あまり抑揚のないタイプ。第3章のエンディングに全部通して歌われるのが北方の朗々と歌い上げるタイプの調べである。歌詞の使い方も上手く、第1章では、「庭中のどの花もジャスミンには及ばない」という歌詞が女優としてこれから花咲こうとする茉自身を暗喩、ところがこの歌が突然こみあげてくる悪阻の吐き気で途中で歌えなくなることで夢半ばにして絶たれた茉の人生の絶頂期をも暗示している。第2章では結婚式で花嫁の莉が歌う場面で「来年もまた芽が出るかしら」という歌詞が使われ、居合わせた子供がつい「芽が出ない」と間違って唱和して莉の歌を中断させ、のちの不妊とこの結婚の不吉な前途を図らずも予言した形になっている。そして、エンディングでは花の明るい笑顔にかぶさって、この曲が初めて最後まで通して歌われることにより、自立した女性として人生をまっとうする3代目のヒロインへの賛歌になっている。

「人民中国」より 2008年3月7日

 

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