監督 呂楽(ルー・ユエ) 2006年 中国 100分
第19回東京国際映画祭審査員特別賞受賞作
◆あらすじ
何風は成都に住む高校3年生。子どもの頃、父の親友に貰ったナイフと、誕生日にボーイフレンドの陶陶にもらったナイフを、いつも大切に通学用のリュックにしのばせているボーイッシュな少女。母親はそのナイフをくれた父の親友と出奔、何風は鉄道管理員の父と2人で暮らしている。
チベットからの転校生の包が、何風や陶陶の仲間で父親がバーを経営している阿利に金を無心したりして付きまとったため、怒った陶陶は包を学校のトイレに仕掛けた爆薬で脅そうとし、巻き添えを食った教師は包の仕業だとして停学処分を命じる。自分がやったと正直に言わない陶陶に何風は本当のことを言うよう迫るが、陶陶は女性担任教師ともただならぬ関係にあり、お咎めなしで済んでしまう。
何風が煙ったくなった陶陶は足の悪い文学少女と付き合うようになり、ショックを受けた何風は自分にだけは優しい包にほだされ、体をまかせてしまう。だが、2人の関係がばれ、停学という前科のある包は退学処分になり、親からも生活費を打ち切られると、切羽詰まって、何風のナイフを盗み出し、阿利に突きつける。その場に居合わせた何風は、「私のナイフを返して! 」と叫ぶ。それは陶陶が彼女に贈ったナイフだった。
◆解説
原作は何大草の『ナイフとナイフ』。映画のタイトルも初めはそのままにするつもりだったが、諸々の事情により変更をよぎなくされ、主人公たちが通う高校の名前から取った現在のタイトルになったという。タイトルだけでなく、カットされた内容もあるであろうことを充分うかがわせる作品だったが、それでも尚、圧倒的な映像の力で見事、東京国際映画祭の審査員特別大賞を獲得。ただ、私は何風の心象風景であるアラビアの勇士や20代になった姿を描いたカットはなくても良かったように思う。高校時代の話だけで充分、物語の言わんとするところは伝わったのではないだろうか。
80年代に生まれた、改革開放の申し子のような中国の今の若者たちは50年代生まれの呂楽監督の目には、いわゆるアンファン・テリブル、恐るべき子供たちに映るらしく、その刹那的な青春を描いてみたかったとのこと。だが、監督と同世代の日本人の私から見ると、ここに描かれた高校生群像は70年代の私自身の高校時代と何ら変わることはない。
実はこういう中国と日本との間に横たわるタイムラグについては、中国の映画や文学に関してすでに何人かの人が指摘しているところだ。映画評論家の四方田犬彦氏は第五世代監督をきちんと評価するには日本の30年代生まれの大島渚や今村昌平らと比較して論じる必要がある、と言っていたし、私と同じ50年代生まれの作家の茅野裕城子氏も80年代生まれの中国の作家、春樹の『北京ドール』に懐かしさとシンパシーを感じたと言う。茅野氏によれば、つい最近、日本に招かれ講演した60年生まれの作家の余華も実は三島や川端に自分たちは近いと語ったそうだ。そういえば、私も衛慧の一連の小説を読んで思い出したのは、70年代の流行風俗小説である村上龍の『限りなく透明に近いブルー』や田中康夫の『なんとなくクリスタル』だった。
◆見どころ
東京でのワールドプレミアで鮮烈なデヴューを飾ったヒロインの劉欣。この映画の成功の大半は彼女を見つけ出したところにあると言っても過言ではなく、反逆心と正義感に溢れた凛とした少女を見事に演じきっている。実際の彼女も何風そのもので、東京国際映画祭のティーチインでの、「私と李宇春(オーディション番組『超級女声』の05年チャンピオンで、人気歌手)を比べないで。私のほうが可愛いと思う」発言といい、授賞式にも普段と変わらぬジーンズにスウェット姿という気取りのない格好で臨む姿勢といい、まさに役柄そのままの自然体で、その清新な魅力に魅了された記者や観客も多かったようだ。記者や観客ばかりではない。受賞記者会見の控え室では、各国の審査委員や受賞者たちが彼女に話しかけ、次々に写真撮影を求めるなど、華やかなゲストスターが欠けた今年の東京国際映画祭の一番の注目の的だったと言ってよい。クロージングのパーティーでは、他の中国の監督やプロデューサーたちが次々に彼女に連絡先を聞いていたから、劉欣の主演第二作を見られるのもすぐだろう。呂楽監督に一番学んだことはお行儀という答えも、彼女らしくて笑った。
東京国際映画祭はこれで4年連続中国映画の入賞が続いている。おかげで私も毎年クロージングの授賞式に呼ばれ、受賞スピーチと記者会見の通訳を務めさせていただいている。うれしいことだ。来年の東京国際映画祭でもまた中国映画の健闘を祈りたい。
「人民中国」より 2008年3月23日