こうした「雑踏ハウリング現象」が東京含め日本の都市ではあまり見られません。皆が静かにすることを「マナー」と捉える文化、公共習慣がゆえであるとおもいますね。電車の中で「携帯電話の使用を控える」ことがルールにもなっているし、それを遵守することは当然とおもっている人が大多数を占める日本文化です。そして、公式的社会ルールならびに非公式的社会ルールを通じて「静音の美徳」がうまれます。
さて、話をもう一度冒頭の話題にもどします。中国人の多くの方が、これから日本に観光として訪れることになります。観光ですから、日本文化を吸収する時間はあまりなく、短期での外地旅行を楽しむ目的です。経済効果などでは、非常に好感をもたれますが、僕が危惧するのは、中国人が経験してきた「雑踏ハウリング現象」と日本人がもつ「静音の美徳」が、コンフリクトをおこすことへの課題です。
文化的なコンフリクトだから、小さいことだという意見もあるかもしれませんが、僕は、これは大きな問題にならなければいいな、と思っています。「雑踏ハウリング現象」と「静音の美徳」ともに、それぞれの社会が歴史的背景から独自に生成したものであって、良い悪いというのはありません。ただ、問題は2010年から数年間にわたっては、このギャップがコンフリクトを起こす可能性があるということですね。