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中国から日本への観光するのが次第に楽になってきましたね。日本側の法規制(ビザなどの入国管理規制等)、超広義での日中間経済的格差の縮小などなど、中国内で経済的に余裕でありさえすれば、中国から日本へ旅行する障害はほとんどなくなってきているように思います。こうした交流は、何か意図的に極めて厳密に問題点を「槍玉に挙げる」ことさえなされなけば、往々にして良いことであるとおもいます。
一方で、「”GAIJIN”受けいれ能力」が弱いといわれるのが日本文化ですね、次第に都内主要商業施設などでは、英語だけでなく中国語、韓国語にも対応出来る接客業の店も増えてきましたが、それでもやはり、中国人観光客数の増加の程度に比べて、多言語対応ビジネスの増加の程度は遅いような感覚をもちます。ビジネスに対するある種の「獰猛さ」が足りないような気もします。
しかしながらこうした実務的なところは、おそらく経済的合理性のもとで次第にギャップが埋められ、多くのアジアからの観光客そして多くの日本国内アジア対応ビジネスが増えてくることは時間の問題であるとおもいます。最も僕が日本における中国人観光客について気にしているのは、その日本、中国両国民の「コミュニケーションムード」です。
これは何をいっているのかといえば、北京では例えば、公共バスを多くの方が利用しますね、そのときに、バスがバス停に近づくときに、「危ないです。」ということを自動音声などで発します。同時に女性車掌さんが拡声器で「どいてください!」と叫ぶ光景が日常的に繰り返されます。日本人が最初にこの光景をみたらまさに「混沌」の都市マナーにみえるとおもいますね。僕も最初その光景にであったときには、「なんてヒドイ、マナーなんだろう」と思ったものです(もちろん、こうしたマナーは一昨年のオリンピックを終え、だんだんとではありますが、時間をかけて数十年という長い単位で改善されてくるものと思います)。そして、中国の皆さんはそうした「雑踏」に慣れているため、かえってそうした「音声情報での注意」をききません。たとえばですね、僕が自転車にのって、警戒のベルを鳴らしたとしても、前にいる方は、「自分に鳴らされていることに気づかない」ケースが多いんです。その結果、北京では「雑踏のハウリング」をおこし、注意を促すほうは、より大きな「音声情報での注意」を発し、また市民はそれに次第に慣れ・・・という循環をおこします。