また、かき氷の歴史をネット検索でたどっていると面白い記事がありました。「清少納言の「枕草子」にはかき氷の元祖と思われる食べ物について「甘いシロップをかけた削り氷が銀の器に入った涼しげな様子は実に優雅である。」と書かれています。また、紫式部の「源氏物語」には宮中の女房たちが夏の夕暮れ時に氷室から取り出した氷を割って、額や胸などに押し当てて涼をとる様子や、夏の盛り、源氏の君が青年達に氷室から出した氷を振舞う様子が描かれています。」(大阪純氷卸協同組合ホームページより)
うーむなーるほど、日本では、かの清少納言や紫式部の時代から高級品として存在していたのですねぇ。平安時代とはいやはや長い歴史であります。
それでは、中国のかき氷事情に目を向けるとどうかといいますと、「刨冰,雪花冰,冰沙」というように様々な名称で呼ばれています。日本でも安価で単純製法のB級グルメかき氷から高級職人伝統かき氷までラインナップがそろっていますが、中国でもその製法、見た目、味、そして価格などは様々なものであります。これは、「かき氷」というものが、極めて単純な食品であるがゆえに、そもそも定義が厳密ではなく、最終商品の特徴がかなり幅広いものとなってしまっているからでしょうね。
また、日本および中国のかき氷の歴史的な経緯についても、かき氷の最重要原材料は「氷」でありますから、冷蔵技術が発達したから庶民の手にも届くようになったというだけでありまして、大衆の「かき氷」文化の歴史は極めて浅いわけであります。太古の昔にもかき氷文化があって、技術的発展があったために一時期廃れていたかき氷が「復権した」というようなストーリーもありません。
このように、「製品構成要素が単純」「一般市民に商品として流通してからの歴史が浅い」ということで「奥深さ」に欠けていまして、コラム考察をするネタとしては、何の面白みもなさそうなかき氷なのでありますが、日本と中国で少しだけ差があることに注目してみたいと思います。
日本のかき氷は、低価格のものであれば、例えば、素人アルバイトスタッフが一般的な業務用かき氷機を使用し、既成品のシロップをかけただけのものを屋台で販売するようなものであります(縁日・お祭りの屋台などで販売されるカラフルなかき氷を想像して下さい)。また、高価格帯の商品になってくると、甘味処と呼ばれるようなお店の中で、客はお座敷に座りお茶・抹茶とともに確固たるスイーツとして提供され、専門の製氷業者がノウハウを駆使し冬の間に綺麗に自然生成された氷を原料として使用し、溶ける温度に近いくらいまで温度をあげた氷を使用し(ふわっとする食感を得る)、かき氷の職人さんが自らメンテナンスを長年施したかき氷機を用い、例えばフレーバーは宇治抹茶や自家製で炊いた小豆とともに高級砂糖(和三盆糖など)を使用して作られた各種シロップをかけて、高級和食器とともに提供されるようなものであります。
いろいろと妄想が膨らんでだらだらと書いてしまいましたが、単純な「かき氷」の定義から逸脱すること無く、シンプルにそしてその要所要所に職人技を連携プレーのように差し込んでいくのが、日本式「高級」ともいえるものでありましょう。