1954年10月末、中央政府は李徳全会長を団長とし、顧問の廖承志氏を副団長とする中国紅十字会代表団の訪日を決めた。これは新中国建国後、最初の訪日代表団であるので、中央政府は非常に重視した。当時、中国が直面していた国際的な環境は極めて厳しかった。アメリカ、日本の右翼分子、蒋介石政府のいずれもが代表団の訪日を妨害していた。
出発の直前、周恩来総理は中南海で代表団と会見し、「代表団が東京に到着しさえすれば、勝利になる」と語った。当時、北京と東京の間には、直行航空便が開通していなかったので、代表団は香港で飛行機を乗り換えなければならない。不利な要素による失敗を防ぐため、代表団は香港でいろいろな措置をとり、紅十字会の紀鋒連絡部長らに、先遣隊として東京に行き、準備をしておくことを求めた。
代表団は東京に到着後、熱烈な歓迎を受けた。日本の友好団体が青年チームを派遣し、「警備員」として代表団の安全を確保し、日本政府も数多くの警察官を配置し、「官」と「民」が共同で代表団を保護するシーンが見られた。これは日本史上初めてのことである、と当時いわれた。代表団はこの訪問で日本各界の人々と幅広い交流を行い、中国国民の日本国民に対する友情を伝え、大きな成功をおさめた。これを機に民間レベルの関係は、経済交流から政治交流にまで拡大し、日本の各政党と各界の友好を望む人々が相次いで訪中するようになった。
「チャイナネット」2007年9月27日