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靖国神社ドキュメンタリー映画の制作が完成
発信時間: 2007-11-08 | チャイナネット

東京都千代田区九段の北側に著名な景勝地が1カ所あり、春に桜の花が満開となると、いつも花見の人でいっぱいになる。1989年、留学のために日本に来たばかりの李纓さんは、かつてそこへ花見に行ったことがあるが、数年後、はじめてそこが靖国神社であることを知った。1993年、李さんは友たちと自分たちの映画制作所「竜影」会社を立ち上げ、のちに自分たちの会社が靖国神社のそばにあることにも気づいた。14年後、彼はそこでドキュメンタリー映画『靖国神社』の制作を完成した。

 

このほど、『南方週末』紙の記者が映画の撮影状況について李纓監督を取材した。

問 このドキュメンタリー映画を制作する際、またはその前に、なぜ日本では今日になってもこの題材に触れた人がいないのかということをあなたは考えたことがあるかどうか?

答 ない。その時、私も知らなかった。のちにこの映画を制作する過程で、資料を探すため、いくつかの映画のフィルムを参考することになり、調べてみると、みんながこの内容に関するいかなる映画も制作したことはないと言うのだった。その後、撮影の仕事は非常に困難で、私も撮影を続けることができなくなり、日本の監督協会理事長の崔洋一氏をたずねた。氏は在日朝鮮人の二代目で、日本生まれの方であった。私は日本側に頼んで私と力を合わせてこの映画を完成する可能性があるかどうかと彼に尋ねた。彼はそれを耳にすると、不可能だ、すべての人がこの問題を回避しているのだと答えた。

その時、私もどういうわけなのかと考えた。その原因はのちに私が仕事を続ける過程ではじめてだんだん体得することになった。一時期続けてみたが、余りにも難しく、直面する問題が多すぎ、まさに乗りかかった船となった。多くの日本人は私よりずっと先見の明があり、ずっと困難がどこにあるのかを知っており、私は世間知らずもいいところでこれらのことをぜんぜん知らずに、がむしゃらに前へ進んでいたのだ。

問 あなたの撮影班はどういう人たちからなるものか?何人いるのか?

答 私のアシスタントは日本人であり、カメラマンとプロデューサーもいるわけだが。私はできるだけ撮影班を最小規模に圧縮した。初めの数年間には私一人だけで小さなテレビジョンカメラで撮影を行った。その後、多角的視点でやる方が私のためになると思うようになり、さらに数人を増やした。しかし、私はやはりメンバーを最低に抑え、一般は3-4人で、のちに人数が少し増えた。

 問 早期にいくつかの素材を撮影した時、ランダムでおこなったのかそれとも選択的に、例えば、毎年の神社参拝が相対的に多い時を選んだのか?

答 私はよく靖国神社に行き、ときにはテレビジョンカメラを持って行き、いくつかの素材を気の向くままに撮ってきた。私たちはそれ(靖国神社)に本当に近すぎるところにいた。ときには一休みのためにコーヒーを買いに行くことや、木蔭に坐ってお茶を飲みながら一服することや、桜の花を見て楽しむことなど、いずれもそのそばで行い、すでに日常化し、多くの場合、それはとりもなおさず私の生活の1シーンとなっていた。

問 東条英機の孫娘を取材した内容は映画では使っていないのか?

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