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日中関係を考える5つの視点
発信時間: 2008-01-04 | チャイナネット

2003年春、中国に来てから今日まで、「在北京日本人」として常に考え続けてきたことが三つある。一つは「中国認識へのアプローチ」、次に「日中関係」、最後が「自分にできること」である。

人々はしばしば指摘する。「日中間の相互理解はまだまだだ」「相互理解を促進するために」。こういう言葉を耳にするたびに考えた。「相互理解という言葉を安易に用いるが、それが達成された状態とはどういうものなのか」「そもそも相互理解とは、追求し続ける対象ではないのか」

まずは「中国認識」にしっかり取り組もう、そして自分が中国にいて感じたり、考えたりしたことを、より多くの人に伝えていこう、と考えた。

単純な国ではない

「中国って大きくて、神秘的だよな」。掘っても掘っても、何かが出てくる。少し感情的で、抽象的な表現だが、これが私の対中認識への出発点である。

中国認識という「領域」では、「以面覆点」あるいは「以点覆面」というアプローチは厳禁だと思っている。つまり、「中国」という「面」で各処に存在する「点」を覆わないこと、その逆も同様だ。

四川と広東、山東と重慶、北京と天津……。人々の生活習慣、好き嫌い、性格、価値観、現状認識など、あらゆる要素を含めて、とにかく違う。自分の郷土が大好きで、批判を耳にすると怒り出す人もいれば、現状に不満を持ち、とにかく出国を渇望するエリートもいる。地方の農村に行った際には、自分が中国人であることすら意識していない人に出会ったこともある。

そして、そういったギャップは「地方と地方」だけではない。北京の繁華街、王府井にある「東方新天地」は各種のブランド店が並び、「白領」が高級品を買いあさっている。その一方で、一歩外に出ると、月給600元(約1万円)ほどで家族を養う生活を強いられている人もたくさんいる。

中国における「多様性」と「複雑さ」を、私は中国に来て初めて体感した。中国に来る以前、私は、中国は単一的で単純な国だと思っていた。恥ずかしいことに、柔軟性に欠け、ただ単純に「中国」を認識していた。

これだけ大きくて、神秘的で、多様性に富み、しかも複雑な国、中国を認識し、理解するためにはどうすればいいのか。本質はまさにここであろう。現段階で私なりに結論を出せば、「地道に取り組む」以外に答えはないような気がする。

確かに、「中国とは○○の国だ!」「この一点さえおさえればあなたも中国通になれる!」というようなアプローチがあれば、それは楽だし、爽快だ。ただ、そんなアプローチは、第一に存在しないし、第二に面白くない。

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