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里帰りした鉱物顔料
発信時間: 2008-04-07 | チャイナネット

唐の時代に鉱物顔料で描かれた「重彩画」(濃厚な彩色画)は、日本に大きな影響を及ぼした。日本の絵画は唐代の絵画を基礎に発展したので、日本では「唐絵」と呼ばれている。したがって、中国の「重彩画」は、現在の日本画の母体と言ってもよい。

「岩彩画」 高占祥・『夏の蓮』

しかし、中国では、宋や元(1206~1368年)の時代から水墨画が絵画の主流になり、伝統的な「重彩画」はおろそかにされてしまった。一方、日本は明治維新を経て、西洋芸術を急速に吸収し、新しい日本画を誕生させた。

1970年代末、文化の発展を締め付けていた「文化大革命」が終わり、中国美術界も世界に目を向けるようになった。名高い日本画家の東山魁夷、平山郁夫らが相次いで中国で大型展覧会を開催した。これは中国美術界に大きな衝撃を与えた。

人々は日本画の上品さ、素晴らしさを賞賛するとともに、意外にも日本の巨匠たちが鉱物顔料を使っており、その作品の中に中国の伝統的な要素を内蔵していることを発見し、喜んだ。そして多くの中国の留学生が続々と海を渡って日本へ美術の勉強に行ったのである。

チューブ絵具は即席文化

「岩彩画」日本画家・市川保道『西山』

王雄飛は杭州の中国美術学院国画学部で学び、彩色細密画を専門としていた。一九八九年、彼は日本に留学し、多摩美術大学で加山又造、上野泰郎、市川保道、中野嘉之ら著名な画家の指導のもと、日本画を専攻した。

ある日、作品講評の授業の後、加山又造はこう言った。

「中国文化は豊かで深い。日本は中国絵画の精華を学んだ。古代の中国は、あんなにすばらしい鉱物顔料を使っていたから、敦煌壁画のような傑作が誕生した。ところが、現在、中国の画家のほとんどは、チューブ入りの絵具を使っている。あれは『文化のインスタント食品』であり、幼稚園の子供や家庭主婦が絵を勉強するときに使うものだ。中国では多くの美術学院や画院、美術機構があるのに、鉱物顔料を研究する人は一人もいない。こんなにすばらしいものが途絶えてしまったのは、実に惜しい」

この言葉は、王雄飛に衝撃を与えた。そして彼は、重い使命感を覚え、密かにこう決意した。「東洋の色彩絵画の現代的な考えと技法を持ち帰り、中国ですでに失われた鉱物顔料を再び発掘し、整理しよう」

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