ホーム>>中日両国>>社会
里帰りした鉱物顔料
発信時間: 2008-04-07 | チャイナネット

留学を終えた後、王雄飛は日本で有名な画材店の日本画材研究部に入り、岩絵具の開発を学んだ。そして何度も試練を経て、ついに優れた鉱物顔料の製法を身につけたのだった。

4000種以上を開発 1991年、王雄飛は帰国し、日本のある画材会社とともに北京に「天雅中国重彩岩彩画研究所」を設立し、鉱物顔料の開発を始めた。彼は中国各地を駆け回り、各種の鉱石を採集した。中国の国土は広く、鉱物資源が豊かだ。彼は16年間、たゆまぬ努力を重ねて、すでに4000種類以上の、粒子の大きさの異なる鉱物顔料を開発した。その種類と品質は、世界水準に達している。これが「中国岩彩画」という新しいジャンルを生む物質的基礎を定めたのである。

「岩彩画」兪旅葵・『記憶の堆積』

「『岩彩画』とは、広義で言えば、広く鉱物顔料を主な色彩とするすべての芸術作品を指しています。また鉱物顔料を使ったイーゼル・ペインティング(絵画)、インスタレーション・アート、パフォーマンス・アート、映画・テレビ作品などの芸術形式も含まれます。狭義では、粒子の大小の異なる鉱物顔料で表現する絵画作品です」と王雄飛は定義する。

「岩彩画」と油絵、木版画、銅版画などとの違いは、材質において根本的に異なるだけでなく、中華民族の優れた伝統文化を継承しているところにもある。さらに「色のついた中国絵画」という理念を提起したことによって、水墨画を主体とする伝統中国画の狭い思想を広げた。

しかし王雄飛は「中国の『岩彩画』は日本画と同じ材料を使っているにもかかわらず、大きな違いがある」と言う。第1に、中国の「岩彩画」は、より深く中国文化に根をおろしている。第2に、中国伝統絵画の趣きや気品をいっそう強調している。第3に、線と平面との関係を際立たせている。第4に、敦煌の壁画の様式との相互関連を重視している、というのである。

国も積極的に支援 中国政府は「岩彩画」の発展を大いに支援した。1998年から文化部(部は日本の省に当たる)所属の中国芸術科学技術研究所が「中国重彩岩彩画高級研究班」を開催し、王雄飛が日本留学経験者たちを集めて教師陣を結成した。彼は自分の指導教官であった市川保道、上村淳之、上野太郎ら著名な日本画家を毎年、中国に招き、講義をしてもらった。

これまで21回の「高級研究班」が開催され、学生は千人近くに達している。「高級研究班」が育てた学生には、中国の各美術学院や大学の教師、学生、各地の美術家協会の主要担当者もいるし、画院の専任の絵師やプロの画家などもいる。なかでも一部の大学の教師たちは、大学に帰って「岩彩画」を教える活動を展開した。

1998年、第1期の「高級研究班」が開催されたとき、王雄飛が編集した『最新重彩岩彩画技法』が出版された。これは中国の「岩彩画」に関する最初の啓蒙教材である。2004年、王雄飛、兪旅葵が共同編集した『鉱物色使用手冊』が出版された。この本は、二人の十数年来にわたる研究と教学の積み重ねによる知識と経験を集めたものである。鉱物顔料の発色原理について、さまざまな角度から詳細に研究し、論述し、鉱物顔料の使用技法について比較的全面的にまとめ、総括している。

     1   2   3   4    


  関連記事
  同コラムの最新記事

· 日本人が南京で大虐殺の被害者を弔う

· 日本料理の海外進出を拡大 健康のコンセプトを普及

· ドキュメンタリー「靖国」、上映中止相次ぐ

· 中国語作文コンクール、9歳の小学生の作品が一等賞に

· 日曜中国語会、両国の文化とメディアの交流を討論