日本では「中国が強大になると、日本に報復するかもしれない」という言い方があるが、これは中国の発展方向に対して安心できないという一種の疑惑であり、それによってさまざまな「中国脅威論」の出版物が出てきた。例えば中国が月探査衛星の打ち上げに成功すれば「中国軍事脅威論」となり、中国が対外投資をすれば「「中国金融脅威論」となり、中国が東中国海の開発をすれば「中国エネルギー脅威論」となる、などなどである。
中国も多くの人が、日本の将来の方向に対して懸念を抱いている。「日本が憲法改正の歩みを速めているのは、戦後の平和主義の道を捨てようとしているのだろか」「日本が日増しに軍事防衛面での動きを活発化させているのは、軍国主義の復活と関係があるのだろうか」などなどである。あたかも日本側のあらゆる軍事行動がみな中国に対してのもののように言い、そこから「中国と日本は必ず一戦を交える」という言い方も出てくるのだ。
相手の戦略意図と目指す方向に対する互いの猜疑心は、相互信頼が足りないことから引き起こされ、またさらに相互信頼の基礎を損ない、信頼の危機を誘発してきた。このほか意思疎通の不足や特殊な人の特殊な行為が容易に疑惑を引き起こすこととも無関係ではない。例えば、中国に対する「放言」や、日本人でさえ問題だと感じている首相の靖国神社参拝問題や「価値観外交」などなどは、人々に何かの連想を引き起こさないわけにはいかない。
中国人がよく言う「君子の交わり」は、日本では「大人の付き合い」と言う。成熟した付き合いには一定の決まりがあり、それは一方の対外政策や行動は必ず相手側の受け止め方や反応に配慮しなければならないということである。閉幕したばかりの中国共産党17回党大会での言葉を借りて言うなら、「国内と国際の二つの大局を統一的に協調させる」ということである。相手のことを気にかけてこそ、はじめて相手から気にかけてもらえるものだ。(中国人民外交学会秘書長 黄星原)
「人民中国インターネット版」より2008年4月15日
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