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周総理と中日関係
発信時間: 2008-04-29 | チャイナネット

1972年9月29日、中日両国はついに共同声明を発表し、中日国交正常化を実現した。これによって両国関係史における新たな1ページが開かれ、中日関係は新たな歴史的時期に入った。これは両国の人民が、20余年にわたり刻苦奮闘した結果であり、両国の先輩政治家や有識者たちが心血と知恵を注いだ結晶である。さらに両国の指導者たちが自分の国家利益から出発し、時代の流れに順応し、大所高所からものを見て下した偉大な決断であった。

これ以後の一定の期間、両国は政治や経済、科学技術、文化、芸術、スポーツなどでの交流と人の往来がかなり大幅に増加した。10数の日本の化学肥料や化学繊維プラントが導入され、上海宝山製鉄所の建設プロジェクトに日本の技術を採用することが決まり、1年の間に数千人の若者たちが相互訪問することなどがこの時期に実現した。

30余年の実践は、両国の指導者たちの決断が正しかったことを証明している。中日の友好協力は、両国人民の根本的利益に合致し、政治や経済などの各方面で両国に多くの実際の利益をもたらし、アジアと世界の平和と安定を守る上でも、重要な貢献を果たした。中国は日本と離れることはできないし、日本も中国と離れられない。両国は友好協力してこそ、ともに発展することができる。これはすでに中日両国の政府と人民の共通認識となっている。

中日関係は新たな時期に入ったが、周総理の視線はそこに止まらず、さらに遠い先を見て、2つの理念を打ち出した。

1つは「水を飲む時に、井戸を掘った人を忘れてはいけない」ということである。これは、中日国交正常化の直前、周総理が古い友人である岡崎嘉平太氏と古井喜実氏に会った時に提起された。周総理は「我々は『官』があるからといって、『民間』を忘れてはならない」と述べた。そして岡崎氏や古井氏のような、中日関係を推進するために貴重な貢献を果たし、命も惜しまない日本の友人たちに敬意を表した。

そして周総理は再三、この言葉を用いて内部で働く人たちを戒め、「新しい友人と親交を結び、古い友人をも忘れない」よう求めた。周総理は歴史的に大切な時期に、中華民族の伝統的美徳を反映した理念を提起したことは、日本の友人たちを深く感動させただけでなく、中国人民をも教え導いた。

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