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周総理と中日関係 |
発信時間: 2008-04-29 | チャイナネット |
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もう1つは「前事を忘れざるは、後事の師なり」である。中日国交正常化は、法理論上は、中日間の過去のあの不幸な歴史にピリオドを打つものであったが、しかしその歴史を抹消したわけではない。歴史は客観的に実在し、決して抹消することはできない。中日双方とも、これをしっかりと記憶にとどめておかなければならない。その目的は、昔の恨みを晴らすためではなく、その中から教訓を汲み取って不幸な歴史を2度と繰り返さないためである。 周総理は1972年の田中首相を歓迎する宴会でこう述べた。「1894年以来の半世紀の中で、日本軍国主義の中国侵略によって中国人民は重大な災難をこうむり、日本人民もまた深い被害をうけました。『前事を忘れざるは、後事の師なり』と言いますが、我々はこのような経験と教訓をしっかりと銘記しておかなければなりません」 周総理の深慮遠謀が重大な戦略的意義を持っていたことは、事実が証明している。
周総理への想い 永遠に 敬愛する周総理は、新中国が成立してからずっと中日関係の問題に深い関心を払ってきた。周総理は先頭に立って、両国の各界の人々や人民といっしょに努力し、中日関係はついに不正常な状態を抜け出して正常な発展の道を歩み始めた。これはわが国の対外活動の重大な成果である。 その過程で周総理は、非常に多くの日本の友人と親交を結んだ。周総理の才知や学識、度量、品格、人柄……、一言で言えば彼の精神と魅力は、日本の友人たちに深い印象を残した。彼らは周総理を崇拝し、敬慕し、「世界の偉人」と称えた。周総理を自分のもっとも偉大な友人、個人的親友と考える日本人もいる。 1976年1月8日、周総理が不幸にも逝去した。中国人民の悲しみは限りなく、日本の友人たちの中でも大きな悲しみが巻き起こった。周総理を自分の「人生の師」とみなすある日本人は、生前、総理の写真を肌身離さず持っていたが、臨終のとき、彼の妻は周総理の写真を遺体とともに棺桶の中に入れたという。何という深い情誼であろう。 周恩来総理が中日関係を発展させるために果たした役割とその貢献は、人々の記憶の中に永遠に残ることだろう。(銭嘉東・王効賢=文) 「人民中国インターネット版」より2008年5月
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