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周総理と中日関係 |
発信時間: 2008-04-29 | チャイナネット |
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周恩来総理と中日関係 生誕110周年にあたって
周恩来総理生誕110周年にあたる今年、周総理のそばで長く仕えた秘書の銭嘉東さんと日本語通訳の王效賢さんから、周総理に関する文章をいただいた。これを3回に分けて掲載する――編集部 2007年は中日国交正常化35周年の節目の年であり、2008年は私たちが敬愛する周恩来総理の生誕110周年にあたる。この2つを結びつけ、周総理が生前に中日関係のために行なった多くの仕事や不朽の貢献を思い起こすのは、自然なことであろう。 周総理は偉大なるマルクス主義革命家、政治家、軍事家であり、傑出した外交家でもある。中華人民共和国の初代の総理として、周総理は毎日、政務は多忙を極めたが、終始、外交の第一線で活躍し、輝かしい数多くの成果を残した。中日関係はその中の一つである。 大所高所に立ち、未来に着眼 1949年10月1日、新中国が成立した。我が国は直ちに全世界に向け、中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府と承認するすべての国と、平等、互恵及び領土・主権の相互尊重などの原則のもとで、外交関係を樹立したい、と宣言した。 しかし、当時の状況下では、中国と国交関係を結んだのは、主にソ連や東欧社会主義国や、植民地統治から逃れ、独立したばかりのいくつかのアジアの隣国だけだった。西側の国々は、いくつかの西欧と北欧の国を除いて大多数が新中国の承認を拒否した。とくに米国は、我が国に対し孤立化、封鎖、貿易禁止などの政策をとり、新中国を扼殺しようという敵対的態度をとった。それから22年後、内外の情勢に迫られてやっと現実を認め、新中国の門を叩きにやって来ざるを得なくなった。 日本に至っては、当時はまだ米国の占領下にあり、米国の命令に従うことしかできなかった。1952年、片面的なサンフランシスコ講和条約に調印し、翌年には台湾当局と「外交関係」を樹立し、違法な条約に調印した。こうした状況下で、中日関係は当然、正常化の条件が整っていなかった。 しかし毛沢東主席、周総理の指導の下で、我が国は、昔から往来を続けてきた一衣帯水の隣国の日本に対し、終始、然るべき重視と注目を払ってきた。私たちは短期間のうちにある程度の進展を見ることは期待せず、大所高所に立って未来に着眼し、両国関係は最終的には正常化すると信じていた。 |
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