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周総理と中日関係 |
発信時間: 2008-04-29 | チャイナネット |
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一貫した対日政策 中国のこうした対日政策の方針は、戦後半世紀にわたる対日関係の中で貫かれてきた。両国関係が好調に発展した時も、また挫折に遭遇した時も、変わることはなかった。 周総理はいつも、こうした政策で私たちを教育した。外交部(外務省)が設立されたとき、アジア局局長に任じられ、後に文化部(文化省)の副部長に任命された夏衍氏は、1989年に書かれた周総理を記念する文章の中でこう書いている。 「50年代の初め、日本政府は中国敵視政策を堅持していた。民間貿易が始まったとはいえ、障害は多く、なかなか進展しなかった。そのとき総理は、日本に対して60年(注)の歴史を直視するとともに、2000年の歴史も考えなければならないと、私たちを教え導いた。日本は中国を60年の長きにわたって侵略し、中国は計り知れない損害を受けた。しかし別の面では、日本と中国は一衣帯水の隣国であり、漢や唐の時代からの悠久の友好往来があり、日本人は人生哲学や経済、文化から、生活習慣にいたるまで、中国と切っても切れないつながりがある。だから当面の状況下で日本と付き合うとき、迎合しすぎてはならないが、強要しすぎてもならない。迎合しすぎると、中国人民は承知しない。強要しすぎると、日本政府もそれを実行することができない。だから総理は『後先をよく考え、少しずつ積み重ね、条件が備われば物事は自然に順調に運ぶ』という方針を打ち出したのである」 (注)原文のまま。しかし周総理はいつも「50年」と言っていた。 このことから分かるように、あの当時から周総理は、将来を見通すすぐれた見識によって、中日関係発展のプロセスの青写真を描いていたのだ。政府と政府との関係は、一度には打開できないが、我が国の自発的な努力のもとで、政府の機能の範囲に属する二つ重要なことをやり遂げた。それは、中国政府がヒューマニズム精神に基づいて、戦後中国に残留した日本人居留民を送還し、中国にいたすべての日本の戦犯を釈放したことである。 |
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