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1964年東京オリンピックを振り返る
発信時間: 2008-05-30 | チャイナネット
 写真:1964年東京大会のポスター


日本を公式訪問した胡錦濤国家主席は6日、福田康夫首相の開いた歓迎夕食会で、「1964年の東京五輪を自分で経験した日本の友人は、中国人13億人が五輪に対して持ちつづけてきた期待を理解できる」と語った。東京の高速道路や新幹線も1964年に完成した。東京大会のための多くのインフラ建設は日本経済の振興を促し、60年代と70年代の日本経済急成長の土台を固めた。人民日報記者はこのたび、アジア初の五輪大会となった44年前の東京大会について詳しく聞くため、当時を知る多くの日本人を訪ねた。

「北京オリンピックを支援する議員の会」の会長を務める河野洋平衆議院議長は取材に対し、1964年の東京大会当時、両国がまだ国交正常化を果たしていなかったため、中国側が選手団を派遣しなかったことを振り返り、両国の選手が相手国主催の大会で初めて技を競うことになる北京大会へ期待を示した。そして両国の文化・スポーツの分野での交流と人員の往来が北京五輪大会を通じて拡大することを希望し、北京五輪の成功を祈ると述べた。

横浜市の米山さんによると、1964年当時、日本は現在ほど発達してはいなかった。テレビもまだ普及し始めたばかりで、まだテレビがない家庭も多かった。大会の模様がテレビ中継された時には、テレビのある近所の家に子どもたちが集まって試合を観戦したという。

東京大会当時、小学3年生だった東京都目黒区の田中さんは、先生に連れられてクラスのみんなと試合を見に行った。子どもたちに配られた入場券だったことがあとからわかった。五輪の試合を自分の目で見られたことは、今思い出しても、幸運で幸福なことだったと思っている。

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