同じく目黒区の青木さんも東京大会のことをよくおぼえている。最も印象的だったのは、女子バレーで日本がソ連を破って金メダルを獲得したこと。テレビ中継の視聴率は85%に達し、日本チームは「東洋の魔女」として人気を博した。また金メダルが期待されながら銅メダルに終わった日本のマラソン選手のことも忘れられない。この選手は試合後、プレッシャーに耐えかねて自殺してしまったという。
北海道に住む山本さんは当時、鹿児島で中学校に通っていた。北京の環境問題が日本のメディアでさかんに取り上げられているが、大会の頃は東京の環境もひどかったという。山本さんと一緒に東京旅行に来た友達の1人は、突然目まいがして路上で倒れてしまった。病院に運ばれて、大気汚染のせいだったことがわかった。
川崎市のタクシードライバーの竹村さんによると、東京大会が行われた60年代は、川崎の鉄鋼業が大きく発展した時期。多くの若者が職を探して川崎に来たという。川崎の大気汚染も深刻だった。朝洗って外に干しておいた洗濯物が、夜帰って取り込む頃には黒ずんでいるほどだった。
東京大会で日本人が誇りとしたのは、アジア初の五輪大会だったことだけでなく、当時最大規模の五輪大会だったということ。またコンピューターで試合記録を送ったり、世界初の衛星テレビ中継をしたり、当時最高の科学技術を駆使した大会だったことだ。
東京大会は日本にとって、戦後経済の復興を実現し、世界の先進国の仲間入りをした重要なしるしとなった。東京都は2016年の大会開催を招致しているが、その五輪計画書からは東京大会の意義の総括を見て取ることができる。東京大会は、日本経済復活後の国力を示す場となり、東京の都市発展を新たな段階に導き、成長期から安定した成熟期に移行させた。大気汚染・ゴミ処理・交通渋滞などの問題解決にとっても、経験を豊かにする機会となり、その後は適切に対応できるようになった。
「人民網日本語版」2008年5月30日
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