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中国農民が見た日本 見えない手が前進を促す
発信時間: 2008-07-14 | チャイナネット

その次に日本を知ったのは、自分が使用した日本製品による。

私が1990年代初めに買った1台のスズキ・90型のバイクを例に取ると、このバイクは私と共に10年以上も走ったが、何度か前輪のタイヤを換えた以外、他の全ての部品は元のままで、品質の良さは明らかだった。

 

次に日本と接する機会となったのは、私たちの村が日本に輸出する農産品を通じてである。輸入製品に対する日本の厳密さ、細かさ、真剣さの度合いは中国人なら皆知っているところだ。現在の中国・山東省の農民としては、この点を知らなければ山東省農民としては不合格と言える。

 

あなたは知らないうちに日本国民の日常の食品の供給者となることもあり得る。今製造している衣料品や靴・帽子が製造技術や検査に不合格なために貿易企業に断られて、残念に思う場合もあるかもしれない。今生産している野菜や果物、糧食が使用した肥料や農薬が合わないため、加工企業から送り返されてきて呆然することもあるだろう。育てている家畜や水産品が品質や残留薬が基準に達していないために、加工企業に断られて傷つくこともあるだろう。

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