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まほらまの南京生活③食に纏わる不思議いっぱい
発信時間: 2008-10-29 | チャイナネット

ところが、2年ほど前から南京市内の大きなスーパーでゴボウが売られるようになった。私は嬉しくなって毎回長いものを5、6本購入する。すると近くにいた人が必ず質問する。「これは何?」「どうやって食べるの?」「こんなもの美味しいの?」と、矢継ぎ早に聞いてくる。「ニンジンと一緒に油で炒めたり、煮物にすると美味しい。」「鍋の具でもいいですよ。」と答える。レジで並んでいると、私のカゴの中からゴボウを取り出して「何?これ!」「本当に食べられるの?」と手に取って吟味する人もいる。そばにいた人がさらに手に取って「なんだか随分かたそうだねぇ」と、不思議そうな顔で品定めをする。

他人が買ったものを、勝手にカゴから取り出してあれこれ言うなどということは日本ではまずあり得ない。しかし、ここは悠久の大地中国・古都南京である。この南京人の行為に対して、「無神経で失礼だ」と否定的に感じるか、「下町人間的な親しみがある」と肯定的に感じるかによって、中国へのイメージが大きく分かれるところだろう。「南京大萝卜」とダイコンに例えられる南京人の人柄について、思ったことを何でも言ったり、すぐに行動に表す純朴さを理解すれば、こんな行為にも親しみが持てるというものである。「日本では絶対にあり得ない」と、かたくなに自分の考えに固執していては、相手を理解することはできない。国際化とは、自分の考えや習慣とは違う相手を認めることから始まるのだと思う。

購入してきたゴボウのドロを亀の子たわしでこすり落とし、包丁の背で皮をこそげ取った後、ナイフで鉛筆を削る要領でささがきにする。千六本切りにしたニンジンと一緒に油で炒め、キンピラゴボウを作った。中国人の友人や宿舎となっている専家楼の従業員に振る舞ったら「美味しい」と好評だった。スーパーのレジで質問ぜめにした中国人にも味わってもらったら、きっと納得してもらえると思う。

ゴボウはキク科の1、2年草で、果実は漢方薬として古くから使用されている。しかし、根の部分は、一般の家庭やレストランなどの食べ物としては利用されてこなかったのだろう。だから、中国語の漢字は昔から存在するが、食材としては普及しなかったのだと思う。日本には古くから漢方薬として中国から渡来したが、根っ子を根菜類として食用にしたのは江戸時代から明治にかけてである。

中国語の「牛蒡」の発音は「niubang」である。日本語の「ゴボウ」の発音とはまったく異なる。同じように、中国語の漢字をそのまま借用しながら、日本語の発音はまったく異なるものに、タンポポ(蒲公英pugongying)、コンニャク(魔芋moyu)、ミミズ(蚯蚓qiuyin)などいくらでもある。

「niubang」がなぜ「ゴボウ」の音になったのか。学名とも英名とも違う。中国の古い時代の発音にでも由来するのだろうか。中国の“不思議いっぱい”は次々にナゾがナゾを生む。

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