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庶民の言葉で交流できる日中関係を築こう |
発信時間: 2008-12-08 | チャイナネット |
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キャッチアップから自分自身の価値に基づく国づくりの目標への転換は、どの国でも難しいと思います。いずれ中国もインドも、その悩みを持つようになるでしょうが、アジアでは日本が一番先に直面したのです。「日本人とは」「日本とは」という問い、そして我々日本人は「何のために働くのか」「我々の追求する真の豊かさとは何なのか」ということを今みんなで探し求めていますが、なかなか答えが出ない。 しかし、中国には今、日本や米国のような高い水準にもっていくという発展途上の勢いがある。それを見て、日本人は、若者のエネルギーをうらやむ大人のような気持ちになっています。中国の経済は高度成長を続け、世界の工場とまで言われるようになった。GNPも、日本は500兆円くらいですが、中国も350兆円くらいにまで大きくなってきている。特に近年の急激な伸びからいって、中国経済がやがて日本を呑み込むのじゃないかという圧迫感を日本人に与え始めたことから、緊張感が高まってきたと私は分析しています。オリンピックにしても、中国は勢いがあって、開会式も見事だなーと、誰もが感心しました。うらやましかったのでしょう。 実は1964年の東京オリンピックの当時、日本も同じように勢いがあったのです。だから、他人をうらやましがるのではなく、自分自身を見つめなおして、日本人のアイデンティティーをみんなで議論していくことのほうが重要なのです。 日中間でもめる要因が潜在的に大きくなると、単なる経済交流では事は済まず、政治家同士が国と国のあり方について真剣に語りあうことが再び必要になりました。それは、一面では関係の成熟を意味するものでもあります。そういう30年間の流れだと思います。
――先生は1974年に初めて中国に行かれたそうですが、昨年8月には中日友好都市小学生卓球交歓大会の日本側代表団団長として北京を訪れていらっしゃいます。長い歳月、中国を見つめつづけてこられました。変貌しつづける中国に対して、具体的にどんな印象をお持ちでしょうか。 大地震被災地の中高生と交流する加藤紘一会長(左から3人目) 加藤 それは、やはり北京も上海も都市の姿が大きく変わったことです。街のシルエットがすっかり変わってしまった。テレビのチャンネルにしても回しきれないほどに増えた。それで、北京の静かな「小巷子」(横町)が消えてしまったようで、ちょっと寂しく思います。 |
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