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庶民の言葉で交流できる日中関係を築こう |
発信時間: 2008-12-08 | チャイナネット |
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とりわけ印象深いのは、街を歩く若者のファッションが自由になったことでしょうか。それと一人一人が自由にものを言えるようになったこと。昔は、政治家だと分かると、中国の方は二人でないと話に来ませんでした。今は一人でも自由に、それも堂々とやって来ます。 また、自国の政治に対しても、指導者についても、意見や批判を自由に話すようになっている。たとえば、あの政治家は地味だけれども有能な人だ、あの指導者はやたらとしゃべり過ぎだとか、周恩来総理が懐かしいとか、さまざまに人物の評価をしますよ。それから、北京の本屋で、おもしろそうなのでつい買ってしまって今読んでいる『駐京辧主任』という本は、中国の行政機構の内部まで書いてあって、こうした本は、昔は出版できなかった。また、オリンピックの報道にしても充実いちじるしい。なによりも、中国は、普通の人々がとても元気になっていますね。
――最後に、平山郁夫前会長の後任として日中友好協会の会長に就任された先生は、これからの中日関係をどういうふうに築いていけばいいとお考えでしょうか。 加藤 日本と中国は政治体制が違う国でしたから、付き合うのも一部の専門家に任された時代が続きました。付き合う人も、使う言葉も、普通の日本人とは異なった特殊な世界でした。それではいけない。血の通った人間同士、喜びも悲しみも心のままに語り合え、普通の市民の息遣いが感じられる言葉を使って付き合えるようにならなければいけない。 この間の四川汶川大地震の時に行った日本の緊急援助隊をテレビで見、新聞で知って、多くの中国の人々が感謝したということを、今度は日本人がネットやマスコミ報道で知って、あの時こそは、中国と中国人を身近に親しく感じたのです。遺体に黙祷を捧げ、敬礼して送り出すのは、日本ではごく当たり前のことですが、それに中国の人々が率直に感謝してくれたのを知って、日本人の誰もが胸にぐっときたのです。おそらく日中間のこの30年間で、日中両国民がいちばん近づいた瞬間だったのではないかと思います。このように、庶民同士、感じあったままを表現し合えるような日中関係を築いていけたら、と願っています。 今年は両国が国交正常化して36年、『平和友好条約』締結からでも30年です。そろそろ普通の言葉で交流できる日中関係になっていなければいけない、と思います。お互いに、苦しいところも分かりあえ、しゃべりあえる関係にまでしていかなければならない。それには乗り越えなければならないことが多くありますが、必ず乗り越えていかなければなりません。 「人民中国インターネット版」より2008年12月8日 |
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