宿願を遂げ、また果敢に前進した于強さんは、外事弁公室の仕事や観光の仕事の中で出会った人やエピソードを生きた素材として、中日を題材とした2作目の長編小説『翰墨情縁』を書き上げた。これは、戦争中、江南書道の大家の書に魅せられた一人の日本軍人が戦後、さまざまな苦難を経験しながらついに自分の夢を果たす、という物語。この小説は1992年に中日両国で出版され、『李海天の書法』と題された日本語の本は日本図書協会から第1946回の選定図書に選ばれ、ある読者は、この本を日中友好の辞典にしてもよいのでは、と書いた手紙を寄せた。
折しも、中国では『風媒花』のことが報道され、于強さんを友と見なした残留孤児たちは次々と彼を訪れて悲惨な境遇を訴え、日本の肉親探しへの手助けを求めたが、于強さんはその都度、温かく応対し、援助の手を差し伸べた。彼はたびたび日本の友人に手紙を書き、助けを求めるとともに、個人情報を集めた資料館に赴き、当時中国に滞在していた日本人の資料を調べ、手がかりが見つかると、同僚とともに何度も証拠を集め、ついには孤児たちと肉親との団らんを実現させた。その過程で、于強さんは孤児たちが吐露する生々しい素材を丹念に集めた。間もなく、彼が触れ合った実在の人物や実際の事件をモデルに、戦時中に結婚した中国の女性と日本人技師のその後の悲惨な運命を、30万字の長編小説『異国未了情』(日本語題名『異国未了情 夫よ日本の何処に』)として書き上げた。この本は94年に中日両国で出版され、再び反響を呼び、名古屋のある読者は日本円を同封し、作者から主人公に渡してくれるよう頼んできた。
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