中国人の友達と十分に交流するため、栄子夫人は10数年前からずっと中国語の勉強を続けてきた。同僚達はいずれも栄子夫人を自分の身内の人のように見えていた。一部の中国人の友達は日本を離れて中国に帰って仕事につくことになったとはいえ、日本で勉強を続ける子女は相変わらず栄子夫人のお世話を受け、奥窪夫妻は自費で彼らを連れて観光に出かけたこともあった。今すでに成長して成人となった子供達は常にやさしい夫人のことを思い出すとともに、夫人がかつて彼らに奨学金を下さった時の「おひねり」をちゃんと保存している。
生前の願いを実現し、微笑んでこの世を去った
私は普通のサラリーマン家庭である奥窪夫妻が節約しながら家事を切り盛りしていたことを十分に知っているので、10万ドルをためたことはどんなに生易しいことではないのかをよく知っている。夫人は診察のためにお金を必要とし、奥窪氏の老後を考えてもお金は必要であり、私達はどうしてもこの大金を受け入れることに忍ばない気がしてならない。私がもう一度奥窪氏に電話し、この寄付金はお手元に残しておいて下さいと婉曲に申し出ると、力のこもった声が聞こえてきた。氏はもう一度夫人とのたっての願いを表し、「私達の願いを理解して下さい、どうかお受け取り下さい」と言った。
今朝、訃報を聞いて悲しみで胸がいっぱいとなった。奥窪夫人はすでに2008年11月19日午前11時51分に逝去されたのである。奥窪氏は電話の中で、夫人が息がひきとる前に本学院がすでにいちはやく奨学金の件を実行に移したことを知り、非常に喜んで安心していたと言った。奥窪夫人は中国の伝統医薬事業の発展のために最後の力を尽くすことができたので、草葉のかげで微笑んでいることだろう。
「チャイナネット」2008年12月23日
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