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李鴻章は清朝末期の政治家だ。李鴻章の一生のほとんどは清朝末期と共にあり、清朝末期の中国の命運とも密接に関わっている。
李鴻章は太平天国軍と捻軍の武装蜂起鎮圧で功績をあげ、名を成した。その後、海外諸国を訪問、中国近代企業を創設するなど、洋務運動のさきがけとして、中国近代化のプロセスの中で大きな影響を残した。「下関条約(馬関条約)」と「北京議定書」も李鴻章が調印したものだ。彼の言行は、清朝政府の命運に一定の関わりがあったと言えるだろう。
1894年春、中国は日清戦争の講和交渉のため、全権大使として李鴻章を日本へ送り込んだ。交渉の地点は山口県下関の春帆楼だった。
3月24日午後3時、李鴻章と日本の内閣総理大臣伊藤博文、外務大臣陸奥宗光が3回目の会談を行った。会談を終えた李鴻章は旅館への帰宅途中、日本の暴徒に狙撃され、あわや「国際事変」という重大な外交事件となった。
「人民網日本語版」2009年12月3日