世界遺産の美しさを中日両国に伝えたい周劍生

タグ: 世界遺産 写真家 日本 活躍

発信時間: 2010-04-04 12:14:58 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

張:軍役を経験したこともあるそうですね。

周:文革のときの下放政策で、黒龍江省の生産建設団を経て、71年に軍隊向けの新聞のカメラマンとして働くようになりました。撮影した写真が掲載されたときは本当に嬉しかったですね。

張:軍役を終えてからは、どんな生活を送っていたのですか。

周:北京に戻って中国石油化工部に入り、そこでも専属カメラマンとして働くことができました。雑誌や広告の仕事がメインでしたが、カメラを片手に被写体を求めて北京市内をブラついていました。ときに、北京の街角や生活をテーマにした写真を撮影したこともあります。また、母の存在もあって、私は中国の女優の撮影を得意としていました。そのおかげで、映画関係の仕事も引き受けることも多かったです。

張:日本にはどのようなキッカケで来日したのですか。

周:写真の仕事をつづける一方で、中央工芸美術学院で写真を学びはじめたのですが、中国では写真が学問として認められていなかったため、学位を取ることができませんでした。そこで、日本の大学で勉強して学位を取得しようと考えたのです。おかげで、日本の大学でテーマを持って撮影することの大切さを学ぶことができました。

張:なるほど、それで世界遺産というテーマで写真を撮るようになったのですね。

周:そうです。とはいえ、最初から世界遺産というテーマに注目したわけではありませんでした。そもそも私が初めて世界遺産に接したのは、フランス旅行でモンサンミッシェルに行ったときのことです。そのステンドグラスに魅せられて、無我夢中でシャッターを切ったのですが、そのときはそれが世界遺産だとは知りませんでした。それからしばらくして、銀座で世界遺産の写真展が開催されたときに初めて知ったのです。写真展では、モンサンミッシェル以外にも魅力的な被写体が数多くありました。そこで、私は世界遺産をテーマにしてみようと考えたのです。

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