中国の各地で18日、「九・一八」(満州事変)の国辱を忘れぬよう人々に呼びかける空襲警報が響き渡った。新華網が伝えた。
1931年9月18日、中国東北地方に駐屯していた日本の関東軍が突然瀋陽を攻撃し、中国東北部に対する戦争を発動した、いわゆる「九・一八」(満州事変)だ。この事件後、東北3省は全て日本の関東軍に占領され、中国民衆に国辱として記憶されている。
「九・一八」事件の発生地・瀋陽では同夜、高らかな警報の音が夜空を切り裂き、全ての人々が黙祷し、道の車は一斉にクラクションを鳴らした。
同日午前10時から10時15分、?西省西安市の上空では空襲警報が鳴り渡り、「九・一八」の国辱を忘れぬよう人々に呼びかけた。西安市で市全体の範囲で空襲警報が鳴るのはここ20数年の間で4度目だ。
黒竜江省では現地の13の市で当日午前、空襲警報が響き渡った。哈璽濱(ハルビン)人民防空弁公室は18日午前10時に空襲警報システムを稼動、耳を刺す空襲警報が市街区を覆い、道を行く人は足を止めて歴史に思いを馳せた。警報は10分の間続き、10時10分に終了した。
鋭い警報の音が哈璽濱の上空に響き渡ると、今年70歳になる朱玉芬さんは目に涙をため、手に黄色い花を奉げ持ち、中国侵略日本軍の731部隊遺跡被害者記念の壁の前で、731部隊に生体実験で惨殺された父親と叔父を偲んだ。
「争いが起こらないことを臨みます。」朱玉芬さんは「中国人一人一人はあの屈辱的な歴史を記憶に刻み、いつも警戒を怠らず、平和の時にも危機感を持つべきです。日本政府は歴史を直視し、現実を直視するよう希望します」と語った。
吉林省長春市の上空では午前9時18分、防空演習警報が響き渡った。同日の警報は予報、空襲警報、解除警報の3部分に別れ、警報は9時18分から41分までの23分間続けられた。(編集YH)
「人民網日本語版」2010年9月19日